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	<title>えがおの人 &#8211; えがおー江東区限定ー</title>
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	<description>江東区限定！プラチナ世代交流フリーペーパー</description>
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	<title>えがおの人 &#8211; えがおー江東区限定ー</title>
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	<item>
		<title>ものづくりの心で地域を支え、つなぐ。</title>
		<link>https://kotoegao.com/3763/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[えがお編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 15 Mar 2026 20:35:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[えがおの人]]></category>
		<category><![CDATA[令和8年春号]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2026/03/小林正博さん_トップ写真-812x609.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>「江東・マンションふぉーらむ２１」元会長・現相談役小林 正博さん（83歳）昭和17年（1943年）１２月２２日生まれ 「江東・マンションふぉーらむ２１」元会長・現相談役　小林正博さん。 管理組合の役員・居住者の皆さまが日 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2026/03/小林正博さん_トップ写真-812x609.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>「江東・マンションふぉーらむ２１」元会長・現相談役<br>小林 正博さん（83歳）<br>昭和17年（1943年）１２月２２日生まれ</p>



<p>「江東・マンションふぉーらむ２１」元会長・現相談役　小林正博さん。<br><br>管理組合の役員・居住者の皆さまが日頃から抱いている疑問やお困りごとについて相談し合い、理解を深める場を設けています。昨年2月には「深川住宅の５０年と私」をテーマに講演を行いました。<br><br>その際配布された資料には深川住宅の修繕工事について、詳細に書かれています。</p>



<h3>ものづくりと学びに親しんだ少年時代</h3>



<p>昭和１７年１２月生まれ、現在８３歳の小林さん。生まれは日暮里、育ちは深川です。<br><br>中学生の頃は電車の模型づくりなど、ものづくりに親しむ少年でした。猿江公園で草野球を楽しむなど、仲間とともに活発な日々を過ごされていたそうです。現在も中学時代の友人たちと同期会を開き、ゴルフ、カラオケを楽しまれるなど、当時からのご縁を大切にされています。<br>地元の小、中学校を卒業後、都立化学工業高校定時制、東京理科大学二部化学科を卒業しました。働きながら学業に励まれ、１５歳の時には清水建設で１年間アルバイトとして研究員を務め、セメントをはじめとする様々な材料の研究に携わります。<br><br>２０代後半から３０代にかけて、防錆技術学校の通信教育過程で防錆塗装科、施設防食科、めっき科を修了し、防錆管理士の資格を取得。日々技術の向上に努められ、定年まで防錆技術学校の講師も務められたそうです。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2026/03/小林正博さん_仕事-812x589.jpg" alt="" class="wp-image-3765" width="479" height="347" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2026/03/小林正博さん_仕事-812x589.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2026/03/小林正博さん_仕事-382x277.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2026/03/小林正博さん_仕事.jpg 883w" sizes="(max-width: 479px) 100vw, 479px" /><figcaption>塗装会社での仕事中の一枚。</figcaption></figure>



<h3>挑戦を重ねながら歩んだキャリア</h3>



<p>小林さんは金属表面処理剤を扱う会社に就職し金属類のライン塗装の業務に携わりました。ある塗装会社から「水を使って錆を落とせないか」という相談を受け、試行錯誤の末、水の中に砂を入れて劣化塗膜や錆を除去するという方法を確立し水圧鉄管、石油タンクなどの塗膜の長寿命化に対応されました。最初はお手伝いの形でしたが、この経験をきっかけにその塗装会社に転職。その後、会社はマンション等の大規模修繕工事などの施行を行うようになり定年まで勤め上げられました。</p>



<h3 id="青年団の一員として活躍">現役時代から地域のために</h3>



<p>現役時代から、小林さんは専門性を活かして、江東区のマンションについて考える、「江東・マンションふぉーらむ２１」（次頁参照）に携わっていました。また、３０〜４０代の頃には、区主催の「少年活動指導者」「青少年活動指導員」の認定を取得し、キャンプやレクリエーションイベントの企画や運営にも参加。さらに、江東区レクリエーション協会では事務局長を務め、江東区民まつりではウォークラリーを、夏には、協会主催のファミリーキャンプも実施するなど、多くの人々が楽しめる活動を支えてこられました。</p>



<h3>地域とともに歩む長年の地域活動</h3>



<p>定年少し前から、老人クラブ「深一ほがらかクラブ」に入会し、現在は会長を務めています。クラブでは、誕生会や旅行、輪投げ、グランドゴルフなど、会員が楽しみながら交流できる様々な行事を運営しています。<br><br>退職後も地域への関わりを続け、町会の副会長やマンションの自治会長を務め、地域活動に尽力されています。</p>



<h3>「今が大切」</h3>



<p>若い頃から活動的な小林さんは、多彩な趣味をお持ちです。読書はもちろんの事、奥さまのためにイヤリングを手作りすることも。定年後には奥さまと2人、スポーツセンターでソフトエアロビクスを始め、自宅ではゲーム機を使ったフィットネスにも取り組んでいます。<br><br>「やるなら楽しくやる！なんでもほどよく適当に！」と小林さんは語ります。座右の銘は東京理科大学の真島学長が言われた「今が大切」。仕事にも地域にも心を尽くし、人とのつながりを大切にしてこられた小林さん。<br>その人生は、私たちに「今を大切に生きる」ことを静かに教えてくれます。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>映像と共に歩んだ人生　そして地域へ</title>
		<link>https://kotoegao.com/3678/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[えがお編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 15 Dec 2025 04:56:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[えがおの人]]></category>
		<category><![CDATA[令和7年・令和8年冬号]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/12/郷さん_トップ写真-812x609.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>江東区老人クラブ連合会（さざんかクラブ）会長・豊洲寿会（老人クラブ）会長郷 景雄さん（82歳）　昭和18年（1943年）生まれ 　子どもの頃から映画や写真に親しみ、映像の世界に魅了されてきた郷景雄さん。長年にわたり培った [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/12/郷さん_トップ写真-812x609.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>江東区老人クラブ連合会（さざんかクラブ）会長・<br>豊洲寿会（老人クラブ）会長<br>郷 景雄さん（82歳）　昭和18年（1943年）生まれ<br><br></p>



<p>　子どもの頃から映画や写真に親しみ、映像の世界に魅了されてきた郷景雄さん。長年にわたり培った技術と経験を活かし、現在は江東区老人クラブ連合会（江東さざんかクラブ）の会長として地域の活性化に尽力しています。今回は、郷さんのこれまでの歩みと、地域活動に込める思いを伺いました。</p>



<h3>映画とカメラに夢中の子供時代</h3>



<p>昭和18年（1943年）1月10日、静岡市に６人兄弟の３番目として生まれた郷さん。戦後すぐの２歳の頃に家族で横浜へ移り、20歳頃まで野毛で育ちました。少年時代の郷さんは一人で過ごす時間を好み、小学生になると映画館へ通い詰め、買ってもらったカメラを片手に横浜港で写真を撮ることに夢中だったといいます。<br><br>転機となったのは、父の知人である新聞記者との出会いでした。撮影の仕事について話を聞くうちに、技術の奥深さに魅了され、「映像の世界で働きたい」という思いが芽生えました。日本大学芸術学部映画学科に進学し、フィルム現像や撮影、編集など専門的な技術を身につけていきました。<br><br>大学３年生の時、東京オリンピックが開催され、郷さんは実習としてカメラ助手を担当。国立競技場の屋根に命綱もなく登り、カメラマンと二人で馬術競技をワイド撮影するという緊張感あふれる体験をしました。「怖かったけれど、今では良い思い出です」と笑顔で振り返ります。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/12/郷さん_学ぶ日々.jpg" alt="" class="wp-image-3681" width="319" height="449" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/12/郷さん_学ぶ日々.jpg 625w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/12/郷さん_学ぶ日々-382x538.jpg 382w" sizes="(max-width: 319px) 100vw, 319px" /><figcaption>高校時代、カメラを持って</figcaption></figure>



<h3>３５歳で独立、スタジオGO設立</h3>



<p>大学４年生の頃、紹介を受けて広告会社サンライズへ就職。先輩のつてでさまざまな映像制作に携わり、20〜30代は新しい技術が次々登場する中、試行錯誤しながら腕を磨きました。<br><br>35歳で独立し「スタジオGO」を設立。モデルルームへの映像投影やビデオ編集など幅広い制作に携わり、60歳まで第一線で活躍しました。</p>



<h3 id="青年団の一員として活躍">地域とのつながりを広げた豊洲寿会での日々</h3>



<p>60歳の時、ご縁があって豊洲寿会の会長に就任した郷さん。当初は「ほとんど参加していなかった」といいますが、声をかけられ徐々に活動に関わるようになりました。書類作成やチラシづくりをはじめ、パソコンを使った作業ができることから頼りにされる場面が増え、自然と中心的な役割を担うようになりました。<br><br>豊洲寿会では、会員同士のつながりを育むため、誕生会やお話し会のほか、麻雀クラブ、カラオケ、さらに毎朝のラジオ体操など、多彩な活動が行われています。行事の企画や準備、会場の手配、参加者の取りまとめなど、会長としての仕事は多岐にわたります。「大変なこともありますが、皆さんが喜んでくださる姿を見ると励みになります」と郷さんは語ります。</p>



<h3>さざんかクラブ会長としての新たな挑戦</h3>



<p>2022年からは江東区老人クラブ連合会（さざんかクラブ）の会長を務めています。区内には111クラブ、会員は約１万５千人。これだけの規模をまとめるには調整ごとも多く、地域代表との会議や役所との連携など、日々神経を使う場面もあるといいます。それでも郷さんは「地域とのつながりの楽しさを感じています」と前向きです。<br><br>「穏やかに、前向きに歩んできました」と語る郷さんの周りには、いつも温かな空気が流れています。最近はドローンを手に入れ、「いつか自分でドラマ映像を撮ってみたい」と笑顔で語ってくれました。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/12/郷さん2-812x567.jpg" alt="" class="wp-image-3682" width="535" height="374" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/12/郷さん2-812x567.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/12/郷さん2-382x267.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/12/郷さん2.jpg 1382w" sizes="(max-width: 535px) 100vw, 535px" /><figcaption>2018年 豊洲寿会バス旅行にて</figcaption></figure>
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			</item>
		<item>
		<title>「利他の精神とともに」ウクライナ支援から郷里の寺まで、広がる活動の輪</title>
		<link>https://kotoegao.com/3611/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[えがお編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 17 Sep 2025 22:00:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[えがおの人]]></category>
		<category><![CDATA[令和7年秋号]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/子安さんTOP-812x523.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>子安 一宏（こやす かずひろ）さん（82歳）　昭和18年（1943年）生まれ 子安一宏さんは、昭和18年（1943年）生まれで、現在82歳。会社経営で得た資金を元に「社会奉仕基金」を積み立て、約２０年間に渡りその基金を、 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/子安さんTOP-812x523.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>子安 一宏（こやす かずひろ）さん（82歳）　昭和18年（1943年）生まれ<br><br></p>



<p>子安一宏さんは、昭和18年（1943年）生まれで、現在82歳。会社経営で得た資金を元に「社会奉仕基金」を積み立て、約２０年間に渡りその基金を、日本の文化財保護をはじめウクライナ避難民への支援や沖縄やサイパンでの戦没者の遺骨調査・収容など、幅広いボランティア活動に活用されています。</p>



<h3>岐阜から東京へ</h3>



<p>子安さんは、高校３年生・１８歳まで岐阜で過ごし、高校卒業と同時に三菱ケミカルに就職しました。周囲には東京大学をはじめとする名門大学を卒業した人が多かった中で、学歴にとらわれることなく実力を認められ、定年６０歳まで勤め上げました。そして退職後、２００３年に自ら会社設立し、80歳まで第一線で活躍しています。</p>



<h3>母から学んだ「利他の精神」</h3>



<p>子安さんの母・たきのさんは、常に相手や他人の利益や便益を優先し、自らを捧げて尽くすという「利他の精神」を大切にされていました。幼い頃から子安さんも、そんな母からよくブッダ、親鸞、鑑真、野口英世、乃木希典などの話を聞かされていました。<br><br>仕事を続ける中70歳頃、「自分にできることを始めたい」との思いから活動を始めました。お金の活かし方について考えを深め、寄付を行うようになりました。「人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる」というアインシュタインの言葉を胸に刻んでいる子安さんは、「自分はすでに十分恵まれ、多くを得てきた。得てきたものを誰かのために役立てたい」と語ります。</p>



<h3>自分らしく生きる。今、自分にできること</h3>



<p>子安さんが現在最も力を注いでいるのは、ウクライナへの支援、戦没者の遺骨収容及び郷里のお寺（浄源寺）の運営に関する活性化の助言などの活動です。<br><br>遺骨収容のボランティアは、全て自費で行われており、国のために命を捧げながらも、遺骨を拾ってもらえず眠り続けている方々を想い、活動を続けています。「人間と動物が異なる基本的な点は２つ。１つは、自分自身と他者を幸せにできるよう努力すること。もう１つは、亡くなった方を弔い、その弔いを通じて恩を感じることができるということです」と語ります。戦没者はその２つが十分に果たされていないと感じた子安さん。「自分がやらなければ」と活動を始めました。<br><br>沖縄の遺骨収容現場では、NPO「空援隊」の呼びかけに応じて、大学生、地元の方、自衛隊などの有志の方々が、献身的かつ積極的に参加しています。<br><br>子安さんの子供時代には仏教の精神が生活に根付いていましたが、戦後の自分ファーストな文化の広がりと共に利他の心は薄れていったそうです。その中で子安さんは、戦前の良いことも悪いことも、若い世代に伝えていくことの大切さを強く感じています。「伝えることこそが、自分の使命。自分の将来や自分にできることについて考える機会も持ってほしい」と語ります。</p>



<div class="wp-block-columns">
<div class="wp-block-column">
<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/ヘルメット-1-812x1443.jpg" alt="" class="wp-image-3615" width="267" height="473"/></figure>
</div>



<div class="wp-block-column">
<p>空援隊の活動中の一枚。</p>
</div>
</div>



<h3>日本ウクライナ交流会</h3>



<p>先の大戦では、国や大切な人を守るために多くの方々が戦い、その尊い命およそ315万人が国内外で亡くなっています。また、日本本土で唯一の地上戦となった沖縄戦では、子供を含む多くの住民が戦いに巻き込まれ、軍民一体となった総力戦の末、２０万人を超える尊い命が失われるという惨状となりました。<br><br>子安さんは、現在のロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにし、その姿を沖縄戦と重ね合わせました。ウクライナが国を挙げてロシアに懸命に立ち向かう姿を見て、「日本ウクライナ交流会」を発足しました。<br><br>「義を見てせざるは勇なきなり」の言葉を想い起こし、自分のできる範囲でウクライナ本国への寄付や江東区に暮らす避難民の方々への支援にも取り組んでいます。<br><br>困難に立ち向かうウクライナの皆さんを心から応援したいという思いで活動を続けています。</p>



<p class="has-border -border01"><strong><span class="swl-fz u-fz-l">ウクライナ避難民の皆さんから</span></strong><br>私たちは、ロシアの侵攻で、遠い日本に逃げてきました。慣れない日本での生活や言葉の壁に戸惑いながら必死で生きています。<br>　「日本ウクライナ交流会」は、ストレス解消のための食事会や観光、子供の学校サポート、江東区のイベント参加など多くのことをサポートしてくださり、日常生活をしていく上で、私たちはとても助かっています。子安さん、本当にありがとうございます。</p>



<h3>空援隊</h3>



<p>2005年に設立した空援隊の活動主旨は「戦没者の御遺骨を祖国にお迎えするための道筋を作ること」です。戦没者の遺骨調査・収容を行い、情報収集・現地協力・埋葬支援などを通じ、慰霊と文化的な相互理解を促進しています。一刻も早く、少しでも多くの戦没者の御遺骨を日本にお迎えするために、国内外の多くの個人・団体と協力し合いながら、立ち止まらず活動を続けています。</p>



<p class="has-border -border01"><strong><span class="swl-fz u-fz-l">遺骨収容に尽力する空援隊（事務局スタッフ一同）から</span></strong><br>子安さんは、入隊されて12年になりますが、ご高齢でお忙しいにもかかわらず、資金援助やサイパン・沖縄での現地の活動に積極的にご参加いただいております。今後とも、かけがえのない仲間の一人として、ご一緒に活動できることを空援隊スタッフ一同心から切望しております。</p>



<p class="has-border -border01"><strong><span class="swl-fz u-fz-l">浄源寺ご住職から</span></strong><br>長年にわたって御堂の改修工事や納骨堂建立への寄進、浄源寺の歴史・お釈迦さまと親鸞聖人の教えや生涯をまとめた著書の奉納、将来の寺の運営に関する厳しくも温かい助言などを賜り、心から感謝しております。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/p2写真-812x457.jpg" alt="" class="wp-image-3616" width="691" height="389" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/p2写真-812x457.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/p2写真-382x215.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/p2写真.jpg 1500w" sizes="(max-width: 691px) 100vw, 691px" /></figure>
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			</item>
		<item>
		<title>〜戦火を越えて生きる力〜</title>
		<link>https://kotoegao.com/3541/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[えがお編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 14 Jul 2025 09:33:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[えがおの人]]></category>
		<category><![CDATA[令和7年8・9月号]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/勝田さん-812x671.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>勝田 和雄さん（97歳）　昭和3年2月6日生まれ 昭和3年（1928年）2月6日生まれの勝田和雄さんは、現在97歳。江東区・扇橋で生まれ育ち、今も同じ地に暮らしておられます。５人兄弟の４番目として生まれ、幼い頃は負けず嫌 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/勝田さん-812x671.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>勝田 和雄さん（97歳）　昭和3年2月6日生まれ<br><br></p>



<p>昭和3年（1928年）2月6日生まれの勝田和雄さんは、現在97歳。江東区・扇橋で生まれ育ち、今も同じ地に暮らしておられます。５人兄弟の４番目として生まれ、幼い頃は負けず嫌いのガキ大将。近所の友達と戦争ごっこに夢中になっていたそうです。<br><br>父母ともに医師で、父は大きな病院を経営。ところが、戦時中の強制疎開で、押上から東陽町までが対象となり、ご両親の病院も含めて建物はすべて取り壊されてしまいました。</p>



<h3>東京大空襲、炎の竜巻の中で</h3>



<p>昭和20年3月10日。東京大空襲の日、当時17歳の勝田さんは、小名木川の上空に現れた大きな炎の竜巻に巻き込まれてしまいました。見上げた瞬間、体がふわりと浮き上がり、そのままおよそ200メートル先の扇橋二丁目の交差点まで飛ばされたのです。不思議なことに、落ちた瞬間も“ふわり”と着地。奇跡的に大きな怪我はなかったそうです。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p1_防空頭巾.jpg" alt="" class="wp-image-3543" width="361" height="334" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p1_防空頭巾.jpg 552w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p1_防空頭巾-382x354.jpg 382w" sizes="(max-width: 361px) 100vw, 361px" /></figure>



<p>幼少期の家庭には蓄音機があり、音楽はいつも身近な存在でした。小学生の頃から舞踊団で日本舞踊やバレエを「戦争のことはあまり思い出したくない」と話す勝田さん。しかし、この経験がその後の人生の強さにつながっていくのです。</p>



<h3>〜学び直しと新たな道〜代用教員から物理学への道</h3>



<p>空襲で家を失った後、母の実家がある新潟県・西山へ身を寄せました。そこでは、「教師をやらないか」と誘われ、小学校で物理を教える代用教員として3年間勤めます。<br><br>理科が得意だったこともあり、先輩教員の勧めで本格的に物理を学ぶことを決意。厳しい受験を突破して、20歳を過ぎてから東京物理学校（現・東京理科大学）に入学し、昭和26年に卒業されました。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p1_教師-812x1043.jpg" alt="" class="wp-image-3544" width="287" height="369" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p1_教師-812x1043.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p1_教師-382x491.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p1_教師.jpg 1168w" sizes="(max-width: 287px) 100vw, 287px" /></figure>



<h3 id="青年団の一員として活躍">測量技師から発明家へ</h3>



<p>卒業後は、国際航業で測量技師として地図作成の仕事に携わり、約40年勤めあげました。その後、60歳を過ぎて独立。代表取締役として新たな挑戦を始めました。<br><br>カラー印刷の技術相談を受けた際、「三原色で紫色を作れないか？」という難題に挑戦。一睡もせず1週間研究を重ね、ついに“紫色”の再現に成功。これにより「ストリッピングカラーフィルム」の特許を取得し、社内から「物理学者」の称号が贈られたのです。</p>



<h3>〜第二の人生で輝く〜　詩吟と漢詩、そしてマラソン支援</h3>



<p>70歳で仕事を辞め、「やりきった」と感じた勝田さんは、友人の勧めで詩吟を始め、さらに4〜5年前からは漢詩にも挑戦。コンクールで3位に入賞するなど、多彩な才能を開花させています。<br><br>また、江東マラソンクラブではリーダーとしてボランティア参加。物理の知識を活かし、方位学や三角関数を使って、ランナーの動きやスクワットによる膝・腰への負荷を計算するなど、理論的なサポートを行ってきました。</p>



<h3>東京マラソンを陰で支えた提言</h3>



<p>第1回東京マラソンでは応募者多数により抽選が行われました。より多くの参加者が走れるよう、スタート地点での人数配置や動きの計算を行い、東京都に論文を提出。その提言が採用され、当初3万人の定員が3万6千人に拡大されることに。東京都から感謝状も贈られました。</p>



<h3>〜信頼と笑顔を胸に〜</h3>



<p>戦火をくぐり抜け、研究と仕事に情熱を注ぎ、第二の人生でも自分らしく、何事も真剣に一生懸命生きる勝田さん。その生き様は、まさに“生涯現役”という言葉がぴったりです。<br>　最後に、勝田さんが大切にしている言葉を紹介します。<br>　「信頼と笑顔。為せば成る。為さねば成らぬ、何事も。」</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p2_漢詩-812x1147.jpg" alt="" class="wp-image-3545" width="468" height="661" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p2_漢詩-812x1147.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p2_漢詩-382x540.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p2_漢詩-1087x1536.jpg 1087w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p2_漢詩.jpg 1433w" sizes="(max-width: 468px) 100vw, 468px" /><figcaption>　勝田さんの漢詩の作品。ご自身の戦時中の経験から、その悲惨さを訴え、現代へ投げかけている。</figcaption></figure>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p2_駅伝記録-812x1147.jpg" alt="" class="wp-image-3546" width="478" height="675" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p2_駅伝記録-812x1147.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p2_駅伝記録-382x540.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p2_駅伝記録-1087x1536.jpg 1087w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/p2_駅伝記録.jpg 1433w" sizes="(max-width: 478px) 100vw, 478px" /><figcaption>　分析が趣味の勝田さんが記された、令和7年正月箱根駅伝の記録。</figcaption></figure>



<h2>元気の秘訣は！ みんなでやる毎朝のラジオ体操から</h2>



<p>「やっぱりね、みんなと一緒に体を動かすのは気持ちがいいよ」。<br><br>朝のスタートは猿江公園時計台の前でのラジオ体操から。江東マラソンクラブのメンバーが中心でご近所の方も加わって20名くらいが集まって、仲良く楽しくやっているそうです。ラジオ体操第一・第二をそれぞれ2回ずつ、まずはCDに合わせて、次はNHKラジオの放送に合わせて。<br><br>特に仲間と集まって一緒に行うラジオ体操の時間は、1日の大切な活力源。「一人でやるのもいいけれど、やっぱりみんなと息を合わせて動くと元気が出るんですよ」と笑顔を見せます。<br>体を動かすことは若いころからの習慣。88歳のときには区の体力測定会で総合1位に輝き、その時の金メダルはいまでも大切な宝物。日々の運動の励みにしているそうです。<br><br>週に1回は、のんびりと自宅から荒川まで片道約1時間半のウォーキング。帰りは疲れすぎないよう電車で帰宅。歩く時間は心と頭の整理の時間でもあり、趣味の漢詩づくりにも活かされています。プロ顔負けの腕前で、漢和辞典や図書館を活用し、必ず自分の頭で考えることを大切にしているとか。<br><br>食事も健康の秘訣。1日2回、腹八分目を心がけ、油ものやお肉は控えめに。その代わり毎日欠かさず魚を取り入れているとのこと。<br><br>「頭・体・手・足、全部使って元気に楽しく！」<br>それが勝田さんのモットー。これからも、仲間と一緒に体を動かし、学び、暮らしを楽しんでいきます。</p>



<div class="wp-block-columns">
<div class="wp-block-column">
<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/ラジオ体操1-812x1083.jpg" alt="" class="wp-image-3549" width="413" height="551" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/ラジオ体操1-812x1083.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/ラジオ体操1-382x509.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/ラジオ体操1.jpg 1125w" sizes="(max-width: 413px) 100vw, 413px" /><figcaption>猿江公園時計台前。ラジオ体操の仲間たちと。中央の男性が勝田さん。</figcaption></figure>
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<div class="wp-block-column">
<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/ラジオ体操2-812x1083.jpg" alt="" class="wp-image-3550" width="414" height="552" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/ラジオ体操2-812x1083.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/ラジオ体操2-382x509.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/07/ラジオ体操2.jpg 1125w" sizes="(max-width: 414px) 100vw, 414px" /></figure>
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]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>音楽とともに歩んだ人生―手話ダンスに出会い、広がった世界―</title>
		<link>https://kotoegao.com/3428/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[えがお編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 15 May 2025 09:44:03 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[えがおの人]]></category>
		<category><![CDATA[令和7年6・7月号]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/大野洋子さん_トップ写真_明-812x611.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>大野 洋子さん（83歳）　昭和17年4月9日生まれ 輪を両手で作るこのハンドサインは「デフリンピック」を表しています。東京2025デフリンピックは11月に開催されます。 幼いころから音楽とともに 大野洋子さんは、昭和17 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/大野洋子さん_トップ写真_明-812x611.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>大野 洋子さん（83歳）　昭和17年4月9日生まれ<br><br>輪を両手で作るこのハンドサインは「デフリンピック」を表しています。<br>東京2025デフリンピックは11月に開催されます。</p>



<h3>幼いころから音楽とともに</h3>



<p>大野洋子さんは、昭和17年（1942年）4月9日に生まれ。現在83歳、江戸川区東小松川で25歳まで過ごします。戦時中に長野県への疎開を経験され、戦争の記憶は今でも心に残っているそうです。そんな経験から、戦争で深い傷を負った沖縄に関心を持ち、沖縄の文化や歴史について学ばれました。特に三味線の音や民謡の旋律に魅せられたそうです。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/大野洋子さん_写真1.jpg" alt="" class="wp-image-3431" width="363" height="415" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/大野洋子さん_写真1.jpg 680w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/大野洋子さん_写真1-382x436.jpg 382w" sizes="(max-width: 363px) 100vw, 363px" /><figcaption>赤ちゃんの頃の写真</figcaption></figure>



<p>幼少期の家庭には蓄音機があり、音楽はいつも身近な存在でした。小学生の頃から舞踊団で日本舞踊やバレエを学び、踊る楽しさを体で覚えました。小松川高校ではダンス部、銀行員時代は東大友の会に入り社交ダンスに熱中し、仲間とともにリズムを感じながら踊る日々を過ごしました。「上手だね」と周囲に褒められることが嬉しくて、それが踊りへの大きな励みになったと話します。</p>



<h3>手話との出会い、そしてダンスへ</h3>



<p>３０年前に江東区に引越し、区のボランティアセンターで手話講座に参加されました。3年間じっくり学び、手話を通して初めて障がいのある方々と接する機会が生まれます。<br><br>ある日、知人から「手話ダンス」を紹介されました。歌詞の意味を手話で伝え、音楽に合わせて体を動かす、まさに“伝える踊り”です。はじめて観た手話ダンスが、沖縄の名曲「島唄」でしたが、その体験が手話ダンスを本格的に始めるきっかけとなりました。<br><br>活動を重ねるうちに、耳が聞こえない方や目が不自由な方とも自然に交流が広がり、「知ることで、理解が生まれる」と実感するようになったそうです。</p>



<h3 id="青年団の一員として活躍">「見る力」を活かして演じる</h3>



<p>手話サークルに所属していたある年のクリスマス会。江東区の聴覚障害者協会の方々を招いて催しを行うことになりました。「耳の聞こえない方は、見る力がとても優れている」と気づいたことから、手話を使った劇「白雪姫」に挑戦することに。<br><br>当時好きだった宝塚やドリフターズの舞台をヒントにした演出は大好評。そこから「表現する手話」の可能性を強く感じるようになりました。<br><br>現在は、手話ダンスサークル「夢」を立ち上げ、地域での講師活動を続けています。生徒と一緒に「かぐや姫」を手話劇にしたこともあり、誰でも安心して参加できるよう、登場人物の衣装を用意するなど楽しく工夫を凝らしています。</p>



<h3>自然なやさしさを大切に</h3>



<p>豊洲四丁目アパートは、現在も進化し続けています。高齢者が安らげるアパートを目指し、健康麻雀の会やボッチャを楽しむ会などを企画しています。年始にはおしるこを振舞うイベントも開催し150名以上の方が参加しました。また、いざという時の為に防災パンフレットも自治会で作成しました。</p>



<h3>30年以上にわたり自治会長を務める西岡さん</h3>



<p>「困っている人にそっと手を差し伸べる。そういう自然なかたちが、私にとってのボランティアです」と大野さんは語ります。誰かを助けたいという気持ちはあるけれど、お節介にならないように、さりげない思いやりを大切にしているそうです。<br><br>「『楽しい』と言ってもらえると、本当にうれしい。教えているつもりが、生徒から教わることもたくさんあります」と、笑顔で話してくれました。<br>音楽、踊り、手話、そして人とのつながり。大野さんの人生は、あたたかいリズムに満ちています。<br><br>最後に今後の想いをお尋ねしました。<br><br>「手話ダンスは子どもも大人、そして高齢の方も一緒に楽しめる、本当にずっと続けられる楽しいダンスです。発表の場だけではなく、手話ダンス自体を楽しむ機会をもっと増やしたい」です。そして私自身、“品よく、賢く、おもしろく”をかかげてこれからも皆さんと楽しく生きていきたいです」と人懐っこい満面の笑顔で語っていただきました。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img width="548" height="359" src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/メンバー集合.jpg" alt="" class="wp-image-3434" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/メンバー集合.jpg 548w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/メンバー集合-382x250.jpg 382w" sizes="(max-width: 548px) 100vw, 548px" /><figcaption>20年ほど前のメンバーと共に集合写真。</figcaption></figure>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>「誰ひとり取り残さない」故郷の学びを今に活かす、自治会長の歩み</title>
		<link>https://kotoegao.com/3378/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[えがお編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 17 Mar 2025 08:07:20 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[えがおの人]]></category>
		<category><![CDATA[令和7年4・5月号]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/03/西岡トップ写真-812x666.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>豊洲4丁目アパート自治会　会長　西岡 誠さん（78歳） 誕生と幼少期 西岡さんは1947年8月29日に生まれ、8人兄弟の6番目として育ちました。白糠町という北海道の地で小学一年生から中学二年生まで分校に通いました。8人兄 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/03/西岡トップ写真-812x666.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>豊洲4丁目アパート自治会　会長　西岡 誠さん（78歳）</p>



<h3>誕生と幼少期</h3>



<p>西岡さんは1947年8月29日に生まれ、8人兄弟の6番目として育ちました。白糠町という北海道の地で小学一年生から中学二年生まで分校に通いました。8人兄弟とはいえ、幼少期は兄弟と遊ぶ時間に比べ、一人で過ごすことが多かったそうです。特徴的な想い出のひとつに、小学三年生の頃、冬山に入りウサギ狩りをしていたエピソードがあります。雪の上についているウサギの足跡をよく観察し、手作りの目立たない罠をこしらえて狩りをしていたそうです。その知識は一緒に学校で学んでいたアイヌの友達などに教わったそうです。アパートの中には、西岡さんお手製の椅子や木工の素晴らしい作品も置かれていました。幼少期に学んだ教えは、今も西岡さんの中に生きています。そして、一クラスに複数の学年の子供達、先生は二人。西岡さんは年下の子供達と過ごす中、自然と現在の自治会長としての活動に通じる面倒見の良さを身につけていたのかもしれません。</p>



<h3>家族と移住</h3>



<p>西岡さんの父の仕事の関係で、中学三年生の時千葉県に転居しました。中学三年生という多感な時期の転校、学校にはほとんど行かずに卒業を迎えたそうです。その後、設備関連の会社に就職し、現場でのキャリアを積み重ね、65歳まで勤め上げました。設備関連の業務で身につけた知識は、今も集合住宅の管理維持という点で大いに役立っているそうです。</p>



<h3 id="青年団の一員として活躍">地域活動</h3>



<p>西岡さんが地域活動に参加し始めたのは40歳台のことでした。豊洲町会の副会長を務めながら、豊洲四丁目アパート自治会の会長を30年以上勤めています。西岡さんが常日頃心がけていること、それは豊洲四丁目アパートの住人の皆さんの生活環境を理解するということです。住人の皆さんとは、日頃から多くの会話をし、それぞれに環境を把握してきました。ある日、集会場でイベントを行っていた時、外である住人の女性が転倒してしまいました。それを見つけた住人の方が、救急車を呼ぼうか悩んでいる際に、他の自治会のメンバーが西岡さんにすぐに電話をかけたのです。西岡さんの携帯電話の番号は、掲示板に記されていて住人の皆さんにも周知されていました。すぐにかけつけた西岡さん、転倒された方のこともよくご存知だったので、迅速な対応をとることができました。<br><br>自治会長として毎日敷地内の点検を怠らない西岡さん。長年の自治会長の経験の中には、孤独死の現場に立ち会ったこともありました。その対策にも役立つひとつの試みが、いま豊洲四丁目アパートで行われています。水道局のスマートメータです。豊洲四丁目アパート立替の際に導入され、今後スマートフォンアプリの説明会も西岡さんを中心に行われる予定です。<br><br>２年前、豊洲四丁目アパートが建て替えられた当初は、ごみの分別も徹底されていなかったそうです。しかし、西岡さんが根気強く注意喚起を行い、現在では非常に良好な状態を保っています。</p>



<h3>コミュニティへの貢献</h3>



<p>豊洲四丁目アパートは、現在も進化し続けています。高齢者が安らげるアパートを目指し、健康麻雀の会やボッチャを楽しむ会などを企画しています。年始にはおしるこを振舞うイベントも開催し150名以上の方が参加しました。また、いざという時の為に防災パンフレットも自治会で作成しました。</p>



<h3>30年以上にわたり自治会長を務める西岡さん</h3>



<p>自治会を運営する中で一つだけ大切にした事があります。それはだれひとり取り残さない自治会を目指すことです。ひとことで取り残さないと言っても、地域との関わり合いの難しい部分もありましたが、東京都と江東区との交渉の末、入居の際自治会にも入会する流れをつくり、自治会加入者１００％を実現されました。西岡さんの姿勢は、多くの住民から信頼され、尊敬されています。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/03/西岡1-812x541.jpg" alt="" class="wp-image-3382" width="638" height="425" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/03/西岡1-812x541.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/03/西岡1-382x255.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/03/西岡1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 638px) 100vw, 638px" /><figcaption>ゴミのぽい捨てを防ぐため、団地の一角におもちゃを並べるスペースを作った。住民が面白がってくれて、ゴミも減った。</figcaption></figure>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>ボランティア、心からの喜びを求めて</title>
		<link>https://kotoegao.com/3297/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[えがお編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Jan 2025 23:25:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[えがおの人]]></category>
		<category><![CDATA[令和7年2・3月号]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎さん_TOP-812x1083.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>昭和２９年３月２５日生まれ　宮崎 英則さん（70歳） 宮崎英則さんは4人兄弟の末っ子として育ちました。幼少期は優秀な姉たちに気後れし、小学校でも勉強が苦手で不登校気味。しかし、4年生の担任が自分を面白がり励ましてくれたこ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎さん_TOP-812x1083.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>昭和２９年３月２５日生まれ　宮崎 英則さん（70歳）</p>



<p>宮崎英則さんは4人兄弟の末っ子として育ちました。幼少期は優秀な姉たちに気後れし、小学校でも勉強が苦手で不登校気味。しかし、4年生の担任が自分を面白がり励ましてくれたことで、「こんな自分でもいいのかも」と思いはじめ、学校が楽しい場所になりました。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎さん_写真-812x1116.jpg" alt="" class="wp-image-3300" width="398" height="547" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎さん_写真-812x1116.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎さん_写真-382x525.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎さん_写真-1118x1536.jpg 1118w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎さん_写真.jpg 1413w" sizes="(max-width: 398px) 100vw, 398px" /><figcaption>宮崎さん、10歳頃のお写真。</figcaption></figure>



<p>高校受験では志望校に不合格となり商業高校に進学。「ここで一番を目指したら」という姉の言葉をきっかけに努力を重ね、3年間トップを取り続けたことで自信がつき、少しずつ自分を肯定できるようになりました。</p>



<p>高校卒業後は夜間大学に通いながら父の金物問屋を手伝っていましたが、父の体調不良により、大学を中退して21歳で家業を継ぎました。がむしゃらに働いたものの、30歳で廃業。その後、兄が利用していた江東区社会福祉協議会との縁から職員募集を知り、採用されました。</p>



<h3 id="青年団の一員として活躍">江東区社会福祉協議会に入職</h3>



<p>最初の勤務先、深川老人福祉センター（現・深川ふれあいセンター）では200名以上の利用者で賑わい、男女の人数の関係で職員として社交ダンスにも参加することがあったとのこと。人生の先輩たちにかわいがられ、人の温かさを感じたそうです。6年半後に総務へ異動し、そこで出会った11歳年下の同僚・和子さんと職場結婚。3人の子どもに恵まれ、充実した日々を送りました。</p>



<h3>三宅島大噴火、島民江東区へ避難、職員として対応</h3>



<p>2000年3月、三宅島大噴火で島民が全島避難。江東区に避難してきた約100世帯200名の受け入れを担当し、職員として奔走しました。避難島民対象のイベントは土日の開催が多かったこともあり、個人ボランティアとして携わり、その後はボランティアで構成される「江東区三宅島支援グループ」に参加し、花火大会やお花見、芋掘り体験など多くのイベントに関わりました。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎1-812x609.jpg" alt="" class="wp-image-3301" width="566" height="425" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎1-812x609.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎1-382x287.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎1.jpg 1300w" sizes="(max-width: 566px) 100vw, 566px" /><figcaption>平成30年ボランティアまつりにて。実行委員長としてご挨拶。</figcaption></figure>



<p>特に印象深いのが「三宅島ふれあい集会」でのトイレ掃除のボランティアです。「どうせやるなら、キレイなトイレを使ってもらおう」と参加者に呼びかけ掃除方法を工夫し、本当に楽しくボランティアができたそうです。<br>イベント会場となった小学校の校長先生が挨拶された際「学校をきれいにお使いいただきありがとう」と言われた時の感動、そして集会の終了時、江東区に避難している島民の皆さんが、「宮崎さ～ん」と声をかけてくれた時の感激は今まで感じたことがない感覚だったそうです。この瞬間の感動が、今も活動の源泉になっているのでしょう。<br><br>宮崎さんは、「ボランティアを通じて人への関心が高まり、交流の楽しさを知り、心からの喜びを得られました。ボランティアを通じて優しさが育まれれば、世界の平和につながるのではないか」と語ります。<br><br>33年間、江東区社会福祉協議会で勤務し、退職後もボランティア連絡会の会長を歴任。現在も精力的に活動を続ける宮崎さんは、周囲を温かく包み込む存在です。その姿勢は、多くの人々にボランティアの素晴らしさを伝え続けています。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎2-812x609.jpg" alt="" class="wp-image-3302" width="503" height="377" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎2-812x609.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎2-382x286.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/宮崎2.jpg 1299w" sizes="(max-width: 503px) 100vw, 503px" /><figcaption>令和6年　福祉研修にて。</figcaption></figure>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>里親として38年間。愛と忍耐、無償の献身</title>
		<link>https://kotoegao.com/3222/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[えがお編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2024 04:54:09 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[えがおの人]]></category>
		<category><![CDATA[令和6年12・令和7年1月号]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kotoegao.com/?p=3222</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/11/えがおの人_トップ写真-812x609.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>民生児童委員・人権擁護委員　秋山 惠美子さん（71歳）、NPOこうとう親子センター共同代表、ホームスタート・こうとう 代表秋山 三郎さん（72歳） 秋山三郎さん（72歳）と惠美子さん（71歳）は、東京・江東区で38年間か [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/11/えがおの人_トップ写真-812x609.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>民生児童委員・人権擁護委員　秋山 惠美子さん（71歳）、NPOこうとう親子センター共同代表、ホームスタート・こうとう 代表秋山 三郎さん（72歳）</p>



<p>秋山三郎さん（72歳）と惠美子さん（71歳）は、東京・江東区で38年間かけて長期養育5人と一時保護５人の里子を育て地域社会にも尽力してきました。その人生は、愛と忍耐、そして無償の献身に満ちた物語です。<br><br>昭和27年、三郎さんは江東区で生まれ、木材運送業を営む父と面倒見のいい母のもと、幼少期は住み込みの社員たちと一緒に過ごし、賑やかな家庭環境で育ちました。<br><br>惠美子さんは昭和28年、静岡県磐田市で歯科医を開業する両親のもとに生まれ、大学入学を機に上京。<br><br>二人はサークル活動を通じて出会い、実家に戻った惠美子さんとの遠距離恋愛を経て結婚しました。</p>



<h3 id="青年団の一員として活躍">里親へ新たな一歩を踏み出す</h3>



<p>二人は子どもを望みましたが、不妊治療を続けてもなかなか恵まれませんでした。そんな中、三郎さんの両親から「子どもがいないと苦しみも少ないが、楽しみも少ない。里親をやってみたらどうか」と提案され、里親制度の存在を初めて知ったのです。<br><br>前向きな気持ちにもなりましたが、惠美子さんは当初、人の子どもを育てることに不安も感じていました。そして夫婦でじっくり話し合って、新たな一歩を踏み出すことを決めました。</p>



<h3>里親としての苦労と喜び</h3>



<p>昭和62年9月、3歳の女の子が秋山家にやって来ました。 彼女はお風呂の時間になると、桶を一生懸命に洗っており、その姿をみた惠美子さんは心が締め付けられました。今までお世話になっていた施設の職員に様子を報告すると、「それは、新しい家族に気に入られようと必死なんですよ」と教えられ涙がこぼれました。<br>1ヶ月程経つ頃から女の子は赤ちゃん返りをはじめます。「ぱぶ～ぱぶ～」としか言わなくなって、言葉が伝わらずに「わ～！！」と暴れることもあり、赤ちゃんのように夜中に起きて泣きわめき、椅子を倒すなど、恵美子さんは「もう限界かもしれない」と心が折れそうな日々を過ごしました。<br><br>そんな時、三郎さんは「おまえは本当に頑張っている。もっと肩の力を抜いていいんだよ。人は十月十日の間、お腹で赤ちゃんを育み、産む試練を乗り越えるもの。これから十月十日間 一緒に頑張ろう」と優しく声をかけました。<br><br>その言葉に惠美子さんは支えられ、夫婦は試練を乗り越え子どもとの絆を深めていったのです。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/11/えがおの人_写真-812x556.jpg" alt="" class="wp-image-3226" width="580" height="397" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/11/えがおの人_写真-812x556.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/11/えがおの人_写真-382x262.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/11/えがおの人_写真.jpg 1500w" sizes="(max-width: 580px) 100vw, 580px" /><figcaption>女の子の洋服はいつも手作りで。</figcaption></figure>



<h3>子どものあるがままを受け入れる</h3>



<p>6年後、女の子が小学校3年生になると、親子関係にギグシャクした時期が訪れました。<br><br>夫婦と子どもはカウンセリングを受けるなかで、自分たちが「お嬢様のように育てたい」という理想を押しつけていたことに気がつきます。子どもは「私はお嬢様ではないし、操り人形じゃない」と心の中で叫んでいたのです。<br><br>この気づきによって「子どものあるがままを受け入よう」という気持ちが芽生え、夫婦の大きな転機となりました。<br><br>子どもとのエピソードはたくさんあります。三郎さんの髭にまつわる話です。「絵本の父親には髭があるのに、なぜ私のお父さんには髭がないの」の一言で三郎さんは髭を生やすことにしたそうです。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/11/akiyama1.jpg" alt="" class="wp-image-3227" width="190" height="236"/></figure>



<p>また子どもはお父さんが大好きで、「私はお父さんと結婚する。お母さんは別の人と結婚して」と三郎さんを取り合いになったとのことです。</p>



<h3>子育ての喜びと困難とともに</h3>



<p>３８年の間に、その後も５人の里子たちとの生活には喜びと困難がありました。<br><br>２人目の子どもは虐待を受け自己肯定感が低く、虚言癖がありましたが、夫婦の愛情を受けて次第に心を開いていきました。<br><br>３人目の子どもは家庭環境に問題があり、委託されました。高校時代には里子だからこそ頑張りたいと努力してアルバイトで貯金をつくり、大学進学を果たしました。現在では都立高校の教師として教壇に立ち、家庭を持って充実した日々を過ごしています。<br><br>４人目の中３でやって来た女の子は高校２年生の時に中退して、実父のもとに家庭復帰しましたが、その後も引き続き彼女の選択を尊重し変わらぬ愛情を注ぎ続けました。<br><br>５人目は発達に課題のある男の子で障害手帳を持っていました。感情の起伏が激しい特性がありましたが頑張って、いくつかの就職を経て、現在は一人暮らしをしながら再就職にむけて努力しています。<br><br>現在も中学生を養育中です。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/11/akiyama2-812x690.jpg" alt="" class="wp-image-3228" width="346" height="294" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/11/akiyama2-812x690.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/11/akiyama2-382x325.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/11/akiyama2-1536x1305.jpg 1536w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/11/akiyama2-2048x1740.jpg 2048w" sizes="(max-width: 346px) 100vw, 346px" /></figure>



<p>三郎さんはPTA会長をつとめ、現在も東川小学校評議員として地域の子ども達を見守っています。またNPO法人こうとう親子センターの代表理事として活動し子育て支援に尽力しています。<br><br>惠美子さんも民生児童委員・人権擁護委員として地域に貢献し東川小学校ウィークエンドスクールのお茶教室の講師として子どもたちに日本文化を伝えています。<br><br>秋山夫妻はこれからも里親を目指す人や、里親、里親里子OBの支援をしながら、里親制度をもっと世間に知ってもらいたいと語っています。<br><br>夫婦の活動の原動力はなんですかと聞いてみると、「夫婦がいつも同志として同じ方向を向いて、信頼し合っていることが大きいですね。そして何より、巣立った子どもたちがよく家に寄ってくれるのは嬉しいですね。頑張っている子どもたちを見ると、いつまでも応援してきたいです。」と笑顔で言葉が返ってきました。<br><br>３５年間にわたる深い愛情と努力の物語は多くの人々の心を打ち、未来への希望を灯し続けています。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>尾野 玲子さん</title>
		<link>https://kotoegao.com/3203/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[えがお編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 14 Sep 2024 23:33:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[えがおの人]]></category>
		<category><![CDATA[令和6年10・11月号]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/09/尾野玲子さん_トップ-812x538.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>歌手　尾野 玲子さん 「喜び」の歌を届け続けて 幼少期からの音楽への道 玲子さんは、福井県で教師の両親のもとに生まれ育ちました。彼女の音楽のルーツは、幼少期の祖父との思い出にあります。3歳の時、病床に伏せていた祖父のベッ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/09/尾野玲子さん_トップ-812x538.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>歌手　尾野 玲子さん</p>



<h2 id="１００歳まで輝いて生きる">「喜び」の歌を届け続けて</h2>



<h3>幼少期からの音楽への道</h3>



<p>玲子さんは、福井県で教師の両親のもとに生まれ育ちました。彼女の音楽のルーツは、幼少期の祖父との思い出にあります。3歳の時、病床に伏せていた祖父のベッドルームで歌を歌い、その度に祖父が喜んでくれたことが彼女の記憶に深く刻まれています。この体験が、玲子さん<br>にとって「人に喜んでもらえること」を大切に思うきっかけとなりました。</p>



<h3 id="青年団の一員として活躍">歌への情熱が開花</h3>



<p>玲子さんが音楽の道に進む転機となったのは、小学6年生の時の福井県の独唱コンクールでした。ウェルナーの「野ばら」を歌って優秀賞を受賞し、そのことを父が誇らしげに周りに自慢していたことが、彼女の心に強く響きました。「歌を通じて人を喜ばせたい」という思いが、彼女の心に芽生えた瞬間でした。</p>



<h3>東京での挑戦</h3>



<p>大学は地元の仁愛女子短期大学の音楽学部に進学した玲子さんは、卒業後、オペラ歌手を目指し東京に行く決心をしました。お風呂はないがピアノがあるという小さな部屋での生活が始まり、二期会オペラ研修生となり本格的に声楽の勉強に取り組むことになります。<br><br>玲子さんはクラシック声楽家の団体「二期会」に所属し、オペラやコンサートでその美声と音楽性が高く評価され、多くの聴衆に感動を与えました。</p>



<h3>ショーレストランでの成功</h3>



<p>その後、二期会の先輩の紹介で溜池にあるドイツ人経営のレストラン「ベルマンズポルカ」に出演することになりました。玲子さんの歌声は瞬く間に評判となり、レギュラー歌手として活躍。クラシックだけでなくカンツォーネやシャンソンなど幅広いジャンルの曲にも挑戦しました。５００席のホールのコンサートのチケットはすぐに完売するほどの人気を誇りました。<br><br>彼女の声の響きに魅了されるファンも大勢いて、まさに歌姫として大活躍。その後40歳の時にそのレストランが閉店。以後は音楽一筋で、自らリサイタルの構成・演出を手掛ける他、小さな会場でのライブにも力を入れ、身近で聴く音楽の楽しさを味わってもらう活動を広く続けています。</p>



<h3>地域社会とのつながり</h3>



<p>玲子さんは1990年から毎年、都内のホールで演奏会を開催し、1996年には金沢オーケストラアンサンブルに招かれて北陸各地でも演奏しました。特に障害を持つ子供たちを招待したコンサートは、大きな反響を呼びました。1998年の帝国ホテルでのディナーショーを皮切りに、全国各地でコンサートを行い、レストランやギャラリーなどの小さな空間でのライブ活動も意欲的に開催しています。その明るく伸びやかな歌声は、ますます円熟味を増し、多くの人々を魅了しています。</p>



<h3>江東区での新たな挑戦</h3>



<p>2018年に江東区に移り住んだ玲子さんは、地域の活気に驚きました。区内の文化センターでの講座やサークル活動が盛んであることに感銘を受け、2021年には江東区の区民講座で「呼吸法」と歌のレッスンを組み合わせた講座を受け持つことになりました。<br><br>受講者からの強い要望もあり講座終了後はグループレッスンを開き、呼吸の仕方を知ることで健康な体と心を維持することができることを丁寧に教えています。さらに予約なしで気楽に参加できる「みんなで楽しむコンサート」を江東区文化センターにて定期的に開催しています。</p>



<h3>これからも歌い続ける</h3>



<p>玲子さんは、「小さい頃に感じた『人を喜ばせること』『歌うこと』を、これからも続けていきたい」と語ります。自分らしく、明るく元気よく歌い続け、多くの人々に喜びを届けたいという彼女の願いは、その歌声と同じように温かく人々の心に響いています。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img width="812" height="399" src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/09/尾野玲子さん_CDジャケット-812x399.jpg" alt="" class="wp-image-3207" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/09/尾野玲子さん_CDジャケット-812x399.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/09/尾野玲子さん_CDジャケット-382x188.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/09/尾野玲子さん_CDジャケット.jpg 1430w" sizes="(max-width: 812px) 100vw, 812px" /><figcaption>CDジャケットに使用した3歳ごろのお写真</figcaption></figure>



<figure class="wp-block-image size-large"><img width="812" height="562" src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/09/尾野玲子さん_ディナーショー-812x562.jpg" alt="" class="wp-image-3208" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/09/尾野玲子さん_ディナーショー-812x562.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/09/尾野玲子さん_ディナーショー-382x265.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/09/尾野玲子さん_ディナーショー.jpg 1500w" sizes="(max-width: 812px) 100vw, 812px" /><figcaption>ディナーショーに菅原洋一さんをゲストでお招きして（2016年）</figcaption></figure>
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		<item>
		<title>品田 礼子（しなだ れいこ）さん（80歳）</title>
		<link>https://kotoegao.com/3056/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[えがお編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 13 Jul 2024 23:47:14 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[えがおの人]]></category>
		<category><![CDATA[令和6年8・9月号]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/07/品田礼子さん_トップ-812x608.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>朗読の会 マザー・グース 創始者　品田礼子さん 朗読で心を繋ぎ、声と人柄で人々を笑顔にする 昭和19年、東京の東大和市で生まれた品田礼子さん。6人兄弟の中で5番目に誕生し、男の子のように育てられた。当時の東大和は農家が多 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/07/品田礼子さん_トップ-812x608.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p>朗読の会 マザー・グース 創始者　品田礼子さん</p>



<h2 id="１００歳まで輝いて生きる">朗読で心を繋ぎ、声と人柄で人々を笑顔にする</h2>



<p>昭和19年、東京の東大和市で生まれた品田礼子さん。6人兄弟の中で5番目に誕生し、男の子のように育てられた。当時の東大和は農家が多く、友達と一緒にベーゴマを回したり、外で遊び回った思い出がある。子どものころから本が好きで、特に夏休みには父親が近所の子供たちを集めて読み聞かせをしてくれたことが心に深く残っており、その後の朗読活動に影響を与えたようだ。</p>



<h3 id="青年団の一員として活躍">声の仕事 電話交換師</h3>



<p>家が床屋を営んでいたことから親の期待に応え地元の高校に通いながら、夜は理容学校に通い、理容免許を取得。卒業後は理容師として働くが、あまり自分には合わず、直ぐにコニシ株式会社で電話交換師として働きはじめる。当時、電話交換師は外線からの電話を受けて、取り次ぐ役割をしていた。<br><br>そこで夫の「安男さんの声」と出会う。安男さんの電話を取り次ぐうちに、「いい声の人だな」と感じるようになり、間もなく声だけで安男さんとわかるようになる。会社の帰り道、たまたま一緒になり、いつも聞いている声に気づき思わず声をかけたそうだ。その時の印象を聞くと「素敵な声の通りでした」と。これが縁となり、結婚することに。</p>



<h3>朗読との出会い</h3>



<p>結婚後立川で暮らし、２人の娘に恵まれる。その後江東区東陽町に移り住み、そこで朗読と出会う。ある日、区報の中に江東区社会福祉協議会主催「朗読ボランティア養成講座」の募集に目が留まり、「あっ、これいいな」と思い、早速申込む。講座に参加してみると、それは想像以上に面白く、礼子さんはすっかりその魅力に引き込まれた。<br><br>講座修了後、礼子さんは区内の図書館で朗読ボランティアとして活動を始めた。特に、目の見えない方々への対面の朗読ボランティアは、貴重な経験となり、希望の本を聞いて朗読するため初見の本を朗読することも多く、自然と朗読力が鍛えられた。朗読を通じて、相手の感情を直接感じ取ることができ朗読ボランティアは大きなやりがいを感じていった。さらに、礼子さんは高田馬場にある日本点字図書館での音訳ボランティアにも携わる。毎週図書館に通い、朗読を録音する。全国の方々が聴くことになるのだが、朗読を聞いた方からのファンレターが届くこともあり、彼女の温かい声と心のこもった朗読は、多くの人々に笑顔と感動を届け続けたのだ。</p>



<h3>朗読の会マザー・グースを立ち上げ</h3>



<p>墨東病院の小児病棟で読み聞かせを行うことになり、これがきっかけで平成５年に「朗読の会 マザー・グース」を立ち上げる。「朗読の会　マザー・グース」は、今年で設立３５年を迎え、現在も３０名以上の会員が所属している。会員は熱心に朗読ボランティア活動に取り組んでおり、地域の様々な場所でその活動が評価されている。<br><br>１０年前、代表の座は教え子である現代表の菅和枝さんに引き継いでいる。後進の指導と朗読ボランティアはペースを少し落とし、今も続けている。礼子さんの朗らかで面倒見のいい人柄と情熱が皆さんを引き付け、マザー・グースの魅力の源となっている。</p>



<h3>終の棲家にて</h3>



<p>今年になり夫の健康問題もあり、一緒に介護施設に入居したが、明るい性格は健在。日々、自分の健康のために散歩や女性のスポーツクラブ カーブスに通い、楽しい今日々を送り、施設での生活を楽しんでいる礼子さん。<br><br>今後どう過ごしますかと質問したところ「まだまだ元気で、周りの人たちにも元気を与えたい」と笑顔で話す礼子さん。これからも地域との絆を大切にし、今後も朗読を通じて人々に希望を届けていくことでしょう。<br>※次ページにて、「朗読の会 マザー・グース」を紹介しています</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img src="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/07/品田礼子さん01-812x609.jpg" alt="" class="wp-image-3060" width="561" height="421" srcset="https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/07/品田礼子さん01-812x609.jpg 812w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/07/品田礼子さん01-382x286.jpg 382w, https://kotoegao.com/wp/wp-content/uploads/2024/07/品田礼子さん01.jpg 1290w" sizes="(max-width: 561px) 100vw, 561px" /><figcaption>古石場福祉会館にて。浅田次郎「ラブレター」の朗読</figcaption></figure>
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