大山 秀治さん(81歳)

江東区大島三丁目町会・江東東納税貯蓄組合連合会 会長 大山 秀治さん

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平穏で穏やかな時代が続くように

大山 秀治さん

昭和17年3月18日、神田生まれ。3歳になる前に戦火を逃れ、両親の実家がある新潟へ移住。刈羽郡北鯖石村で中学を卒業するまで暮らす。

東京にいた頃の父は、大きな中華料理店のコックを。同じ料理店で母も働いていたというが、新潟に移ってから、父は会社務めを、母は保育園の手伝いをしていた。東京で生まれた弟と、新潟で生まれた妹二人の4人弟妹。

その頃の思い出を伺うと、「雪が深い地域で、冬の間は2mくらい積もることも。学校の2階の窓から飛び降りて、父に叱られた覚えがある。」

中学卒業後、単身東京へ

15歳で事務用品を販売している会社に住み込みで勤めることが決まり、単身東京へ。「同級生たちの半数は就職していた時代。それが当たり前だと思っていた」と話す秀治さん。8畳くらいの部屋にみんなで枕を並べて寝ていたそう。

「淋しくなることはありませんでしたか」という問いに、「仕事が忙しくて、そんなこと考える余裕はなかった。」勤めていた3年間、朝から夜10時、11時まで仕事をして、布団に入ったらバタンキューという日々だったという。

そんな秀治さんの楽しみは、月に2回のお休みに映画を観ること。朝から最終まで、3本立ての映画館をはしごして、1日に9本映画を観ることもあったそう。「でも、9本も見ると内容が分からなくなる。映画が唯一の娯楽だった時代です」とほほ笑む。

25歳で結婚

3年間勤めた会社が倒産し、一時新潟へ戻った秀治さんだが、独立した先輩からの誘いがあり、再び東京へ。20歳の頃に、仕事を通じて出会った女性と結婚する25歳まで勤める。結婚後は、大島三丁目にある、妻の実家が経営する印刷会社に入社した。

PTA・町会の役員を そして会長に

「自宅で仕事をしていると、頼まれてしまう」と、長女・次女が通っていた、第2大島小学校、中学校でPTA役員になり、その後会長に。また、大島三丁目町会の役員も昭和54年から務め、会長に。大島三丁目町会会長は現在も務めている秀治さん。「地域や役員の方々の意見を聞いて、皆さんと話し合いながら運営しています。あくまでもボランティアとして、押し付け合うのではなく助け合って、息を抜きながら活動しています。」

毎年5月5日に開催される勝矢祭に参加。(平成22年)
奥様と。

朝の見守りは今年で49年

交通安全のイベントで。

長女が小学校へ入学した時から始め、現在も毎日続けているのが、朝の見守り。7時30分から8時10分まで、小学生が通学するのを横断歩道で見守っている。 

また、会長職を続けていると、付随する依頼ごとが多く舞い込むそうで、「日々忙しい」と話す秀治さん。0歳から4歳まで、4人のひ孫達の成長が楽しみだと話す。

「私自身、大きな災害や戦争に巻き込まれることのない、いい時代に生まれ、育ったと思っています。このまま平穏で穏やかな時代が続いてほしい。」次の世代の平穏を願い、えがおで締めくくってくださいました。

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