菅澤 運一さん(84歳)

江東区清澄に本社を置く、山屋食品株式会社 代表取締役 
代表取締役社長 菅澤 運一さん

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まだまだ、現役!

菅澤運一さん

昭和11年1月30日生まれ、84歳。

8人姉弟の4番目だが、姉たちが3人、長男として生まれる。
父は山屋食品創業者の菅澤運勇さん。福島県二本松の出身で、東京千代田区に居を構えていたという。
大正12年の関東大震災で下町は焼け野原となり、後、清洲橋通りができると聞き、江東区清澄に土地を購入し、移住した。当時は、山屋米殻店を営んでいた。

昭和19年 千葉県鎌ケ谷へ疎開

第2次世界大戦中、戦火が激しくなった昭和19年。運一さんが小学校3年生の時に、家族で千葉県鎌ケ谷へ移住。農業を営むこととなる。
子どもの頃の運一さんについて伺うと「おとなしい子どもだった。下に3人弟と妹がいたので、勉強をするか、子守をするか、農業を手伝うか。そんな毎日だった」と振り返る。

ウスターソース等の製造・販売を始める

昭和25年。戦争が終わって5年たったが、統制経済の下、米や砂糖は配給制だった。配給制でないものを扱いたいと考えた父は、鎌ヶ谷のさつまいもを売り歩いたというが、そんな時に、ウスターソースを販売していた人と出会い、共同で事業を立ち上げる。しかし、1カ月でたもとを分かち、独自にソースの製造・販売を始める。

17歳で営業を経験

中央高等学校夜間部に進んだ運一さんは、17歳で商品サンプルを持参して飲食店への営業を始める。営業は、「ど素人」の運一さん。1日20軒周っても相手にされないことがほとんどだったそうで、「2本でも売れたときは、とても嬉しかった」とえがおで語る。

その後、ウスターソース以外にもトマトケチャップの製造販売、味噌・醤油、酢、みりん等の卸と事業を拡大する。
ソース類は原材料から製造・流通段階までを管理する「品質管理室」、お客様の多様なニーズに対応するため、「商品開発室」を作り、安全で安心な商品作りと多様なニーズに応えられるよう常に挑戦を続けている。

35歳で代表取締役に就任

運一さん、30歳の頃。左は父、運勇さん。

運一さん35歳の時に、77歳になった父の跡を継いで代表取締役に就任。その間に、27歳で京都の女性とお見合いで結婚し、女の子を授かる。

代表取締役として日々忙しく活動をしている運一さんだが、町会の運営にもかかわるようになり、会計係として20年。会長として20年、勤めているという。その他にもいくつもの役職を歴任し、休む暇もない。
健康の秘訣はと伺うと、「40歳の時に糖尿病と診断を受け、以来、毎朝血糖値を計り、数値によって薬の量を決め、服用しています。また、カロリーを消費するために、1日1時間くらいは歩いています。持病のおかげで、身体に気を使って、元気に健康に過ごしています」と運一さん。

仕事の話をする運一さんのえがおから「まだまだ現役」という声が聞こえてきました。

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