麺岡田屋を切り盛りし、その一方で踊りの師匠としても活躍しています。
踊りに家業。充実した日々を過ごしています!
岡田昌子さん
昭和9年3月1日生まれ、86歳。
8人弟妹の長女として、父の実家がある、北海道函館市に生まれる。大正9年創業、老舗の製麺所を営んでいたという。
昌子さん、生後3か月にして家族で東京へ移住。父は、現在の砂町銀座で製麺所を創業した。昭和15年に火事で丸焼けとなり、北砂4丁目に移転したそう。
砂町小学校へ通っていた5年生の時に、学童疎開で山形県酒田市へ。昭和20年3月、山形を離れ、母や家族が疎開していた岩手へ移る。高校1年生まで岩手で暮らしていた。
高校卒業後は家業の手伝いを
昭和24年、現在の南砂1丁目で製麺業を復活。父と母が働く姿を見て育った昌子さんは、高校卒業後、「自然の成り行き」で製麺所を手伝うようになる。麺作りはもちろんだが、「活発な子だった」と振り返る通り、18歳で免許取得後はオートバイや自動車で新宿や日暮里など、お客様のところに麺を届けていたという。
「75歳で免許を返上するまで配達はしていたのよ」と笑う昌子さん。
高校卒業後は家業の手伝いを
昭和24年、現在の南砂1丁目で製麺業を復活。父と母が働く姿を見て育った昌子さんは、高校卒業後、「自然の成り行き」で製麺所を手伝うようになる。麺作りはもちろんだが、「活発な子だった」と振り返る通り、18歳で免許取得後はオートバイや自動車で新宿や日暮里など、お客様のところに麺を届けていたという。
「75歳で免許を返上するまで配達はしていたのよ」と笑う昌子さん。
体育指導員としても活動
55年に渡り所属している江東区民踊連盟の推薦で、体育指導員として28年間活動していた昌子さん。区の依頼で、学校や福祉会館、スポーツセンター等で盆踊りや新舞踊を指導。また、所属している老人クラブ「南砂パールクラブ」でも指導している他、個人指導もしているという。「南砂パールクラブ」は、演芸大会で数多くの賞を受賞している。
24時間では足りない…
一方、平成27年から、製麺所だけでなく、自宅の1階を改築してラーメンとそばを提供するお店をオープン。昌子さんの妹さんや息子さんと共にお店も切り盛りしている。
「踊りの個人指導はお店の休憩時間にしているけれど、時間が足りないと思うくらい、毎日充実している」という昌子さん。そんな昌子さんの最大の楽しみは、お孫さんと一緒に、着物姿で、歌舞伎鑑賞をすることだという。「いつまでも若さを保つヒケツは?」と伺うと、「身体をまめに動かすことと、規則正しい生活。」とえがおで回答。
背筋をぴんと張り、優しく微笑みながら話す姿。「いなせ(かっこいい)」という言葉がぴったりの昌子さんです。