亀戸9丁目町会長として11年。地域に根差した活動を続けています。
地域を温かいまなざしで見守っています
鴇田(ときた) 慶三さん
昭和14年10月24日生まれ、80歳。
生まれは中央区月島。現在、もんじゃ横町となっている通りで父が食堂を営んでいたという。このあたり一帯は焼け残ったというが、戦後現在の住まいがある亀戸9丁目に移住。慶三さんは長男で下に妹が2人。
亀戸9丁目に移住したと同時に、父はボルト等を入れる、梱包材料の木箱を作る仕事を始めたという。
慶三さんは、浅間小学校・亀戸中学・越中島にある第三商業高等学校と地元育ち。
高校卒業後、簿記や珠算の資格を活かし証券会社に入社。経理部に配属されるが、3年で退職。その後、いくつかの企業を経て、30代で定年まで勤めることとなる田原製作所に入社した。
田原製作所は大正7年創業の水門メーカーで、江東区内では辰巳水門や扇橋閘門など。また、全国のダム工事を請け負っていた企業。入社当時は、約200名の社員が働いていたという。
27歳で結婚
慶三さん27歳の時に、仕事で知り合った4歳下の美代子さんと結婚。長女、次女が誕生した。
田原製作所は、町会に協力的な企業で、町会役員を出していただきたいというお願いがあり、社長からの指示で、地元の慶三さんが引き受けたという。その後、新設するダム・ゲートの受注が減少。田原製作所は平成17年に自主解散。社長から「清算業務を任せるよ」と言われ、顧問税理士と相談しながら勤め上げ、平成18年に結了した。
平成21年町会会長に就任
田原製作所が解散後も町会の役員を続けていた慶三さん。町会には35年以上関わっているという。また、平成21年には、町会長に就任。町会長としても、11年勤めている。
その間、旧中川の河川敷はきれいに整備され、平成6年には亀戸9丁目と江戸川区平井を結ぶ人道橋「ふれあい橋」が完成した。これがきっかけとなり、毎年8月15日に江戸川区と合同で「旧中川灯籠流し」を開催。また、毎年6月には「旧中川アジサイ祭り」を行っている。
この河川敷、いまでこそアジサイがきれいな花を咲かせているが、雑草が生い茂っているだけで、何もなかったという。そこで、近隣の町会と一緒に、区長に「河川敷にアジサイを植えてほしい」と懇願。区長から「植えるのは良いけど、管理は町会でお願いしますよ」と言われ、区長の言葉を裏切れないと、ボランティアを募り、慶三さんが中心となって、雑草刈りをはじめ剪定作業、散水作業などを行なっている。
忙しく活動を続けている慶三さんだが、そろそろバトンを繋ぎたいと考え、後継者の育成にも力を注いでいるという。
「バトンを渡した後にやりたいことはありますか?」と伺うと、「ずっと忙しくしていたので、妻と2人、ゆっくり旅行でもしたいですね」と奥様をねぎらう言葉が返ってきました。