昭和29年3月25日生まれ 宮崎 英則さん(70歳)
宮崎英則さんは4人兄弟の末っ子として育ちました。幼少期は優秀な姉たちに気後れし、小学校でも勉強が苦手で不登校気味。しかし、4年生の担任が自分を面白がり励ましてくれたことで、「こんな自分でもいいのかも」と思いはじめ、学校が楽しい場所になりました。
高校受験では志望校に不合格となり商業高校に進学。「ここで一番を目指したら」という姉の言葉をきっかけに努力を重ね、3年間トップを取り続けたことで自信がつき、少しずつ自分を肯定できるようになりました。
高校卒業後は夜間大学に通いながら父の金物問屋を手伝っていましたが、父の体調不良により、大学を中退して21歳で家業を継ぎました。がむしゃらに働いたものの、30歳で廃業。その後、兄が利用していた江東区社会福祉協議会との縁から職員募集を知り、採用されました。
江東区社会福祉協議会に入職
最初の勤務先、深川老人福祉センター(現・深川ふれあいセンター)では200名以上の利用者で賑わい、男女の人数の関係で職員として社交ダンスにも参加することがあったとのこと。人生の先輩たちにかわいがられ、人の温かさを感じたそうです。6年半後に総務へ異動し、そこで出会った11歳年下の同僚・和子さんと職場結婚。3人の子どもに恵まれ、充実した日々を送りました。
三宅島大噴火、島民江東区へ避難、職員として対応
2000年3月、三宅島大噴火で島民が全島避難。江東区に避難してきた約100世帯200名の受け入れを担当し、職員として奔走しました。避難島民対象のイベントは土日の開催が多かったこともあり、個人ボランティアとして携わり、その後はボランティアで構成される「江東区三宅島支援グループ」に参加し、花火大会やお花見、芋掘り体験など多くのイベントに関わりました。
特に印象深いのが「三宅島ふれあい集会」でのトイレ掃除のボランティアです。「どうせやるなら、キレイなトイレを使ってもらおう」と参加者に呼びかけ掃除方法を工夫し、本当に楽しくボランティアができたそうです。
イベント会場となった小学校の校長先生が挨拶された際「学校をきれいにお使いいただきありがとう」と言われた時の感動、そして集会の終了時、江東区に避難している島民の皆さんが、「宮崎さ~ん」と声をかけてくれた時の感激は今まで感じたことがない感覚だったそうです。この瞬間の感動が、今も活動の源泉になっているのでしょう。
宮崎さんは、「ボランティアを通じて人への関心が高まり、交流の楽しさを知り、心からの喜びを得られました。ボランティアを通じて優しさが育まれれば、世界の平和につながるのではないか」と語ります。
33年間、江東区社会福祉協議会で勤務し、退職後もボランティア連絡会の会長を歴任。現在も精力的に活動を続ける宮崎さんは、周囲を温かく包み込む存在です。その姿勢は、多くの人々にボランティアの素晴らしさを伝え続けています。