シニアライフアドバイザー
町田 ムツ子さん
100歳まで輝いて生きる
町田ムツ子さん
昭和13年11月23日生まれ、83歳。
新潟県阿賀野市で、明治から続いているお米屋さんを営む両親の元、6人兄姉の末っ子として生まれる。
お米屋さんと言ってもお酒や砂糖、塩、しょうゆ、煙草等々幅広く扱っていたという。
部落の男衆が集まったり、村に巡業に来る劇団の人が家を訪れ、宿泊までしていたというが、一緒に暮らしていた祖母は、そんな人たちの話をいつも熱心に聞いていたそう。幼いムツ子さんは、細かい話の内容は分からなかったそうだが、いろりを囲んで話を聞いている祖母の姿は今でも印象に残っている。「人と話をするのが好きなのは、祖母の影響」と笑う。
一方ムツ子さんの母は、3人姉妹の真ん中に生まれ、お嬢様育ちだったが、産後の肥立ちが悪く妹が生まれた時に母親が他界。養女に出され、苦労を強いられて育ったという。ムツ子さんは、「母にはいろいろなことを教えてもらった。この母の子に生まれてよかった」と話す。
青年団の一員として活躍
教師になりたかったムツ子さんは高校進学を希望したが、病を患っていた姉の治療費のことがあり、父親代わりの兄から反対されて高校進学は断念。専門学校へ進学する。
また、村の青年団の一員として活動し、地域問題に取り組んだり、専門学校にも行けない女性たちのために、何とかしなくてはと、ムツ子さんが通っていた学校に交渉し、夏休みの1カ月、洋裁講座を開いたりと精力的に活動していた。
23歳で結婚。東京へ
重症の冷え性で新潟の暮らしはきつかったと話すムツ子さん。23歳の時に、東京で暮らす男性を紹介されて結婚。江東区大島に転居した。ひたすら前に進むタイプというムツ子さん。東京への移住にも不安はなかったそう。
結婚後、自宅で和裁を教えていたムツ子さん。江東区の区政モニターに登録。男女格差に疑問を感じ、また、女性問題を取り上げる施設もないと、江東区に請願書を提出。区議会で採択され、その拠点として婦人会館(現男女共同参画推進センター(パルシティ江東))建設に尽力し、女性問題を取り上げる講座や懇談会を精力的に行う。
婦人会館オープン時の平成3年 まゆの会設立
ムツ子さん、54歳の時に、非常勤として社会福祉協議会(現ふれあいセンター)に勤める。また、平成3年には、環境・高齢者問題を柱にして活動する「まゆの会」を設立。思い出のある、高価な着物が惜しげもなく捨てられているのを何とかしたいと、リフォーム教室を主催したり、知恵や知識を持っている高齢者が輝いて過ごせるようにと、意識改革に取り組んでいる。
精力的に活動するムツ子さんをいつもそばで支えてくれたのは、夫の守夫さん。自分の事よりも人の事を考え、笑顔を絶やさず、みんなに愛されていた守夫さん。ムツ子さんは、最大の理解者だった守夫さんを、3年前に見送った。
現在、シニアライフアドバイザーとして、地域の人たちが気軽に立ち寄れるサロンとして自宅を提供したり、地域の地区集会所で認知症カフェやご近所ミニデイを、コロナ禍においても安心安全のための対策をして行っている。
今後の目標を伺うと「100歳まで輝いて生きるViva シニア」と元気な回答が返ってきました。