須永 俶子さん(73歳)

NPO法人江東区の水辺に親しむ会
理事長 須永俶子さん

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川の流れのように、ゆっくりと生きていきます 

須永俶子さん

昭和22年10月11日生まれ、73歳。

杉並区で生まれる。2人姉弟の長女。父は鉱山の機械設計・技師をしていたという。小さいころは、父の仕事の関係で、日立、山口等5~6年ごとに移住。父の北海道転勤を機に、母と俶子さん、弟は東京へ戻る。そのころは世田谷に家を建てていたという。

「鉱山の周りには工場があって、そこで働く人たちの町がある。活き活きと活気があって、みんな一つになって、助け合って生きている。」子ども心にそう感じたという俶子さん。工場を見ると「強いノスタルジーを感じる」という。

中学・高校時代園芸に出会う

中学から女子校に進む。たまたま入った学校が、園芸が盛んだったそうで、高校卒業までにひと通りのことを覚えたという俶子さん。

園芸は、植物を育てるだけでなく、その土地の気候、風土、環境を考えて植物や農作物を植えたり、庭や花壇の設計・デザインをする。小さいころから父が造った図面を見たり、建築家だった祖父が造った設計図や、母が趣味で書いていた家の設計図を見て育ったという俶子さん。園芸を学ぶのは楽しかったと話す。

高校卒業後、同じ系列の、短大の園芸科に進学。授業では、硬い土を、つるはし等を使って開墾し、農作物を育てる日々。つらく大変な作業だったが、精魂込めて耕した畑でとれたトマトや野菜は「絶品だった」とえがおで振り返る。

短大は全寮制。4人部屋で、「寝起きを共にし、同じ釜の飯を」食べた友人たちとは、今でも付き合いが続いている。

造園会社に勤める

短大を卒業後、学校で教鞭をとられていた園芸家の方の会社に就職し、アシスタントとして仕事一筋の日々を過ごす。「仕事が楽しくて趣味もなかった」そうだが、そこで出会った5歳年上の男性と結婚して2年で退職。別の造園会社に勤める。

平成8年度国土庁長官賞受賞

30年前、江東区平野に建ったマンションに当たったことで、縁も所縁もない江東区に転居した俶子さん。長男、長女と育てながらも、在宅で、造園の提案書や設計の仕事を続けていた。

そんなある日、西深川橋周辺を歩いていて、レンガ造りの工場に出会う。魅かれるものを感じた俶子さん。この工場が取り壊されると聞き、何とか残したいと、短大時代の仲間と3人で、西深川橋から深川不動、富岡八幡宮とつながる道を「小名木川の水と神社の緑を結ぶ道」にと企画し、「まちづくり論文コンクール」に応募。優秀賞に選ばれ、国土庁の「地域づくりアイデアコンペ表彰」で国土庁長官賞を受賞した。

受賞を知らせる江東区報

川の面白さ! にはまる

論文を書くために、川と町について色々調べているうちに、川の歴史や川と町のつながり、川のダイナミックさに魅かれ、「すっかり川にはまってしまった」俶子さん。地域の人たちに川辺や水辺に親しんでもらい、豊かな水辺を作りたいと「NPO法人江東区の水辺に親しむ会」を設立。理事長として活動を始める。

イベントでの俶子さん。(2010年・2011年)

水辺から町を観察するツアーや水辺の環境を理解できる小型ヨット体験など、様々なイベントを企画し行っている。

「これからやりたいことは」と伺うと、「現在はコロナ禍で活動もままなりませんが、なるようにしかならない。無理せずに、ゆっくりと、活動を続けていきます。今までもずっとそうやってきました。」と、穏やかにお話しくださいました。

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