会田 久雄さん(74歳)

江東区手をつなぐ親の会、会長。福祉活動に全力を注いでいます。

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1年でも長く福祉活動に努めたい

会田 久雄さん

昭和21年1月15日生まれ、74歳。

福島県須賀川市の農家に生まれる。男ばかりの3人兄弟の三男。中学卒業後、その当時「金のたまご」と言われていた、集団就職者の1人として東京へ。石油コンロやストーブを作る会社に入社し、寮生活を始めた。若干15歳での独り立ちだが、「にぎやかさ、物珍しさで寂しくはなかった」と久雄さん。

ガス工事の工事人として10年。その後監督・営業として活躍。プライベートでは、毎年暮れになるとバスツアーでスキーを楽しんでいた久雄さん。そこで出会った女性と35歳で結婚した。

ダウン症の長女を授かる

翌年長男誕生。次の年に長女直子さんがダウン症という障がいをもって生まれる。久雄さん夫婦は、障がい者福祉を初めて知ることになる。

ダウン症の特性や心臓中隔欠損という疾病もあり、医師からは10歳までは生きられないと宣告を受けた久雄さん。ダウン症に効果があるという様々な療法を、『藁をもすがる思い』で試したという。

普通学級へ入学

5歳で心臓の手術を受け、無事退院した直子さん。小学校・中学校は、久雄さん夫婦の、「近所の子どもたちと一緒の学校で学ばせ、社会性を身に付けさせたい」という考えで、普通学級への進学を希望。しかし、当時は障がいのある子どもを普通学級へ受け入れる姿勢がなく、学校や教育委員会へひたすら頭を下げ続けたという。久雄さん夫婦の願いが届き、保護者が責任を持つという約束の元入学を許可されたという。

「その結果、直子は言葉を覚え、誰とでも遊べるようになった」と当時を振り返る久雄さん。

当時を振り返る久雄さん。

平成21年 江東区手をつなぐ親の会会長に就任

江東区手をつなぐ親の会の拠点となっているさくら分室。

直子さんが誕生するまでは企業戦士だったという久雄さんだが、勤めていた企業の理解も得られ、江東区内福祉施設職員会議(勉強会)を発足。平成11年に都立江東養護学校PTA会長に就任。平成21年には、江東区手をつなぐ親の会会長に就任。障がい者を支えてくれる地域や周りの人たちに、保護者としてできることを率先して行う等、共に手を差し伸べあえる社会を目指して取組んでいる。

「会田家に直子がいなければ、これだけたくさんの人と触れ合うことはなく、ただの野球好き、酒好きのお父さんだった」と笑う久雄さん。

「野球はジャイアンツファン」と久雄さん。

「今は、障がいをもつ子どもを支えてくれる地域の人たちへ、感謝の気持ちを伝えるためにも、また、同じ思いを抱えている親たちのためにも、1年でも長く福祉活動に努めたい」と締めくくってくれました。

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