認定NPO法人マギーズ東京 共同代表理事
マギーズ東京センター長 秋山 正子さん
これからもマギーズ東京と共に…
秋山正子さん
昭和25年7月10日生まれ、71歳。
秋田県雄物川河口にある土崎港の出身。
父は高校教師から計理士に。母も教師をしていたという。お互い子連れでの再婚だったそうで、正子さんは九人兄弟の末子。長男・長女は大正生まれ。正子さんが物心ついた時には、2人とも自立していたというが、家には常に10人以上が暮らしていたと振り返る。
冒険好きが高じて、遊んでいて舌を切り、大けがを負ったというたみおさん。そのためか、うまく話ができなくなり、それを引け目に感じていたというたみおさんは、話をする代わりに『にっこり微笑む』ことを覚えたという。
両親だけでなく、姉や兄も教師で、正子さんも支援学級の先生を目指そうと思っていたという。が、正子さん16歳の時に、父が癌になり亡くなったことが転機となる。
当時、正子さんは父の病名を知らなかったが、自宅で家族に囲まれ、最期は痛がるでも、痩せるでもなく、老衰のように自然に命を閉じた父の死と、ほとんど一人で介護をしていた母を目の当たりにし、看護の道を目指すことを決意した。
聖路加看護大学に入学
4年制で学べるところを探し、正子さんは東京の聖路加看護大学を受験し、合格。特別奨学金を受けて通う。正子さんが学んでいた頃は1970年のベビーブーム。在学中に助産師の資格も取得し、卒業後は京都の日本パブテスト病院産婦人科に助産師として勤務する。
その後、大阪大学の医療技術看護短大、パブテスト看護専門学校の教員として、看護師を目指す後輩の指導に当たる。
訪問看護師としてスタート
27歳で結婚し、長女、長男を出産。
正子さん39歳の時に、神奈川在住の2歳上の姉が末期の肝臓がんで余命1か月と診断。当時は少なかった訪問診療を行っているライフケアシステムの佐藤智医師のもと、自宅で看護を続ける。
姉の看護を経験する中で、がん患者の多くが「家に帰りたい」と思っていることを知り、訪問看護を目指すことを決めた正子さん。大阪の淀川キリスト教病院で訪問看護を研修。正子さん、42歳の時に、夫の仕事の関係で、家族で東京へ移住し、ライフケアシステムで訪問看護師としてスタートを切る。
マギーズセンターとの出会い
訪問看護師としてがん患者に接する中で、患者さんが毎日の生活のちょっとした困りごとや病気についての悩みを気軽に話せる場所がない。この実態を医療者として何とかできないものかと悩んでいた時に、スピーカーとして参加した国際がん看護セミナーで、「がん患者とその家族・友人が自分の力を取り戻す場所となる英国のマギーズセンター」を知り、日本にも必要と活動を始める。
まず、マギーズセンターをモデルにした「暮らしの保健室」を2011年に立ち上げ、仲間を増やし、2016年10月に、マギーズ東京を豊洲にオープン。以来25000人が利用している。
今後2人に1人が、がんになり、10年以上の生存率は6割弱と言われています。がんと共に生きる方々にとって、マギーズセンターはますます必要となります。長く続けていくためにこの活動を次世代につなげ、さらに、各地域に広げていけたら、と思っています。」
正子さんの穏やかな表情の中に、強い想いが伝わってきました。