木村 勉さん(83歳)

これまでの経歴 衆議院議員 内閣府副大臣
東京都消防協会会長 日本消防協会副会長 木村 勉さん

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支えてくれたあらゆる方々に感謝しつつこれからも地元地域のために

木村 勉さん

昭和14年8月15日、江戸川区小松川で、洋品店を営む両親の元、5人兄弟の長男として誕生。戦火が激しくなってからは、母の実家がある埼玉県へ家族で疎開した。昭和20年3月の大空襲。疎開先から真っ赤に燃える東京を見ていた記憶があるという。昭和21年に埼玉の小学校へ入学するも、2年生の途中で亀戸へ転居。香取小学校へ編入した。

洋品店の跡取りとして商業を学ぶべく商業高校へと続く私立の中学校への受験を両親は考えていたが、4・5年の時の担任から「商業高校ではなく、普通科の高校を目指してほしい」というアドバイスがあり、両親も納得の上、亀戸中学校へ進学。当時、『荒れていた』というが、波に飲み込まれることなく過ごした勉さん。卒業の時にもらった寄せ書きには、「戦争のない日本を作ってほしい」と同級生たちからのメッセージがあったという。卒業後は、進学校として評判が高かった両国高校へ。慶応大学商学部へと順調に進む。

学生時代に海外を周遊

実家の洋品店を継ぐ思いはあったというが、政治家への道も捨てきれず、大学では弁論部に所属。昭和61年、勉さん3年生の時に、「慶應大学 アフリカ調査隊」のメンバーに推薦され、アフリカへ渡る。

1カ月間アフリカ各地を周り、そのまま一人でヨーロッパを貧乏旅行した。

31歳で江東区議に当選

学生時代に運命的な出会いをした女性と卒業後に結婚。妻に洋品店を託し、自身は政治家を目指す。洋品店は十三間通りに2店舗と繁盛していた。

1年半のサラリーマン生活の後、昭和46年。勉さん31歳で江東区議に立候補。地元で育った地盤を活かし、見事当選した。

都議時代、神輿を担ぐ姿もりりしくて。
お嬢様お二人と。

2期目の途中で区議を辞職し、昭和52年に新自由クラブ公認で東京都議会議員選挙に出馬し、当選。6期22年勤め、東京都監査委員、全都道府県監査委員協議会連合会長、東京都議会自由民主党政調会長、都議会自民党幹事長を歴任。都議時代に、地方視察に参加できたことが、政治家として「力」になったと話す。

後、勉さん59歳。満を持して衆議院議員東京都江東区(第15区)補欠選挙に自民党公認で出馬し、初当選し、その後3期務めた。

安倍改造内閣及び福田康夫内閣では、内閣府副大臣を務めた。

内閣府副大臣の時。奥様と。

支えてくれたあらゆる方々に感謝

「順風満帆な政治家時代でしたね」と伺うと、「平成22年民主党への政権交代の時に落選し、若返りを図る自民党幹部が敷いた70歳定年制で、政界を離れることになりました。もっとやりたいこと、できることがあった…」という勉さん。

「でも、戦後から高度経済成長、オイルショックと激動の時代。政治家としてやりがいがあった。いい時代に産んでくれた両親と支えてくれた妻や家族、地域の方々。あらゆる方々に感謝している。本当にありがたかった」と当時を振り返って懐かしそうに目を細める。

今後も、長年取り組んできた地域防災に貢献していきたいと語っている。

菅さん総裁選出陣式、推薦人長女やよいさん(当時衆議院議員)と共に。
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