嶋田知詠子さん(61歳)

NPO法人 障がい児者ライフサポート たんぽぽの会 理事長 嶋田知詠子さん

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これからの目標はお母さんを元気に。お母さんはいつも元気じゃないと!!

嶋田知詠子さん

 昭和37年3月29日生まれ。4人姉兄(きょうだい)の末っ子。

お母さんに抱っこしているのが知詠子さん。

実家は上野広小路で100年以上続いた呉服屋さん。母の実家はお茶漬け海苔で有名な永谷園。踊りにピアノ、琴、三味線等々様々な習い事の出来る環境の中で生活を送った。

「どのようなお子さんでしたか?」と伺うと、「それを話すと皆さん驚かれますが、人前に出るのが苦手で、いつも兄の後ろに隠れているような内気な子でした。」

知詠子さん七五三で。両親と祖父母と共に。

知詠子さん7歳の時に7歳年上の姉が突然病に倒れ他界。言葉に表せないほどの落胆の中。母が着付け教室をはじめ、心を立て直すかのように前を向いている姿を、鮮烈に覚えていると話す。

23歳でお見合い。24歳で結婚

結婚式。ウエディングケーキに入刀。

花嫁修業をしながら呉服屋さんを手伝っていた知詠子さん。23歳で、木場で材木屋を営む、6歳年上の男性とお見合いをし、24歳で結婚。「まじめで、実直で優しくて、地味なところに魅かれた」と笑う。

30歳で長男を、32歳で長女を出産。長女は2歳の時に重度の知的障害を伴う自閉症と診断される。

日中は子どもたちの世話と仕事で忙しく過ごしていたが、夜。子ども達が寄り添って寝ている姿を見ると、「なぜ娘がと、涙があふれて止まらなかった」と知詠子さん。

寄り添うように眠っている長男長女。

手探りでスタートした障害児のための放課後施設

長女が小学校1年生の時に入会したクラブがその年度で解散。障害があっても地域の中で豊かな放課後を過ごさせたい、そんな思いを持った6名のお母さんが中心となり再開のための活動をスタート。それぞれが得意分野で力を発揮し、施設があった場所を居抜きで借りて、障害者のための放課後等デイサービス「たんぽぽクラブ」が動き出す。

長女は、12年間ここで放課後を過ごし、「家族以外の子どもやスタッフ、地域の人たちと交流の場を持つことができた」と話す知詠子さん。

長女が20歳の成人式の時に、知詠子さんが着付けを担当。同じ障害の子を持つお母さんがヘアメイク。また別のお母さんが撮影を行ったことがきっかけとなり、障害者のための撮影スタジオを、木場の事務所でスタートした知詠子さん。

「長女がいたからこそ、突き動かされ、知らなかった世界を見せてもらうことができた」。そんな知詠子さんを、夫はいつもそばにいて、支え続けてくれているそう。

地域の人達と障害のある人達でゴスペルチームを作り、ステージ活動もしています。

長男22歳。長女20歳。家族写真。

長女が青森の施設へ。新しい歯車が回り出す

現在29歳になった長女は、8年前より青森市「社会福祉法人ゆきわり会」の施設で生活をしている。

そのご縁で青森県知事と出会い、物産展を開催するようになった知詠子さん。青森の魅力を発信する他、江東区から多くの重度障害者が、青森の施設に入所している現実も知ってほしいと話す。

お母さんが活躍できる場を

社会福祉士、介護福祉士、相談支援専門員等様々な形で活動をしている知詠子さん。この度、社会福祉法人江東区社会福祉協議会の副会長に就任。障害者だけでなく、すべての人が共に生きる地域づくりにも力を注ぐことに。様々な取り組みをしている知詠子さんに更なる目標を伺うと「お母さんたちが一人の女性として活躍できる場を作りたい。お母さんは元気でないと!」と元気な答えが返ってきました。

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