菅野たみおさん(73歳)

サロン・ド・パリ会員。
江東区の風景を描く「深川の会」主宰。

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絵を描く素晴らしさを知ってもらうために、描き続ける

菅野たみおさん

昭和23年2月2日生まれ、73歳。

江東区石島で生まれる。5人弟妹の長男。両親は鉄工所を営んでいたという。隣の千石町は材木屋が多い町で、そばを流れる川には筏が浮かんでいた。小さな頃は、3つ4つ上のお兄さんたちと一緒に材木の周りを駆け回ったり、筏に乗って遊び、ご近所さんに叱られてばかりだったと笑う。

冒険好きが高じて、遊んでいて舌を切り、大けがを負ったというたみおさん。そのためか、うまく話ができなくなり、それを引け目に感じていたというたみおさんは、話をする代わりに『にっこり微笑む』ことを覚えたという。

絵の原点は福島

小学校や中学校のころは長い休みには、父の故郷の福島に預けられたそうで、「東京生まれだけど、半分は福島で育ったようなもの」という。絵を描くのが好きだったたみおさん。里山や川の風景を描いていたそうで、描いた絵は福島の家にいつも飾られていた。

「うまく話すことはできなかったけれど、その分、人や物、景色など細かく観察していた」と話す。

家業を手伝う

父は、とても厳格で人望もあり、町内会の役員を長年に渡り務め、富岡の祭りでは、みこし総代も務めたという。たみおさんは扇橋小学校から深川四中に進み、高校進学後、家業を手伝うようになる。だが、何かというと父と比較され、「嫌で嫌で仕方なかった」というが、そんな時、たみおさんを陰で支えてくれたのがお母さんだった。

お好み焼き屋を開店

30歳になった時に父から「扇橋に空き店舗があるから店をやるか」と言われお好み焼き屋を開店。お店の壁に自身の絵を飾っていたら、お客さんから絵を売ってほしいと言われ、自分の絵が楽しんでもらえるということを再確認。また、「近所の親父さんから絵を教えてよ」と言われ、「教えることはできないけど、一緒に描きましょう」とお店の隅っこでスケッチ教室を始める。

スケッチ教室運営で父母と妻に恩返し

同じころにたみおさんは身体を壊して長期入院。その時にお店を守り、たみおさんを支えてくれた11歳年下の女性と結婚。長女を授かるも、たみおさんが50歳の時に、妻は39歳の若さで病に倒れ旅立ってしまった。

スケッチ教室の運営で何とか生計を立てていきたい。そんなたみおさんの想いを応援し、支えてくれた最愛の妻を失い、教室を辞め、東京を離れようと思いつめたという。そんなたみおさんを再び「絵」に向かわせてくれたのは、長女。「お父さんは絵を描いて人に夢を与えている。やめないで」と言ってくれたそう。

「迷惑をかけっぱなしだった父母に恩返しをするためにも、苦労を掛けた妻のためにも、絵を描く素晴らしさを多くの人に知ってもらうために、描き続けていく」と話すたみおさん。

夢は「水彩画を展示する小さな美術館を造ること」と、『にっこり微笑んで』答えてくれました。

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