アートパラ深川おしゃべりな芸術祭
総合プロデューサー
ソーシャルデザインで社会に恩返し
福島 治さん
昭和33年8月3日生まれ、62歳。
広島県広島市に男2人兄弟の長男として生まれる。父は国鉄バス(現在のJR)の車掌さんだったそう。自転車で5分走れば山や海へ行ける地域で育った治さん。毎日勉強もせずに、どろどろになるまで遊んでいたと笑う。
高校時代は空手家を目指す
高校時代、ブルースリーが人気を博し、空手バカ一代のマンガ本が流行っていた。「強くありたい」と空手家をめざし日々鍛錬を続けたという治さん。卒業後、極真空手の本部で学びたいと上京を決意。だが、そんな無謀な決断を両親が許してくれるはずもなく、あえなく断念。「何をしようか」と模索中に、親友の兄がデザイン専門学校に通っていると聞き、「イラストや漫画を描くことも好きだった」と入学を決めたという。
学校ではグラフィックデザインを専攻し、卒業後は東京のデザイン事務所に就職した。
憧れの人と仕事がしたい
デザイン事務所では、広告用のポスター等を手掛けるが、「あこがれの人の元で、仕事がしたい」と、広告デザインの世界では一番と言われている浅葉克己デザイン室に、自身がデザインした作品を携えて日参。「給料はいらない、何でもします」と頭を下げ、その情熱が認められ無事雇ってもらえたという。アシスタントとして過ごした4年間は、「一流の世界」を肌で感じた、貴重な時間だったそう。
その後、大手広告代理店のADKに移り、40歳で独立し、「福島デザイン」を立ち上げる。このころに、数多くのコンペに参加し、様々な賞を受賞している。
また、その功績により、東京工芸大学に准教授として迎えられた(現在は教授)。
1年365日仕事の日々
一方、治さん26歳で同業の女性と結婚、男の子2人に恵まれる。「妻は一番の批評家。いいものはいい、良くないものは、ここが良くないと言ってくれた」という治さんは、「妻にほめてもらいたい一心」で仕事に全力投球していたという。
最高のパートナーだったが、長男中学2年生、次男が小学校4年生の時に47歳で旅立ってしまう。
ソーシャルデザインとの出会い
夢を一緒に追いかけてくれた妻に、何の恩返しもできないまま見送った治さん。「これからどう生きていこうか」と考えている時に、「ソーシャルデザイン」と出会い、「直感的に魅かれるものがあった」と話す。
ソーシャルデザインとは、差別や貧困、障がい、戦争など、さまざまな社会問題をデザインの力を使って解決したり、伝える活動。治さんは特に、障がいの方の魅力的な作品が埋もれていることを感じ、どう世の中に伝えていくか、地域社会とどう関わっていくかを中心に取り組んでいる。11月15日(日)から9日間行われる、「アートパラ深川 おしゃべりな芸術祭」は、その取り組みの一つ。治さんは総合プロデューサーを務めている。
多忙な日々の中、くつろげる時間はと伺うと、「縁あって再婚した妻との間に女の子が生まれ、現在8歳です。共に過ごす時間がなによりの楽しみ」と、溢れんばかりの素敵なえがおが返ってきました。