2024年7月に控えた、新紙幣の発行。新一万円札の肖像画に起用される渋沢栄一は、実は江東区と深い関わりがあったということはご存知ですか。
渋沢栄一は、明治9年から12年間、深川福住町(現・江東区永代)に居を構え、様々な企業を設立し、地域との関わりを大切にし、旧深川区の区会議員・議長や深川区教育会会長を務めました。区内にはその足跡を感じられるスポットが多く残っています。今回は、門前仲町から清澄まで、その足跡をたどってみました。(説明文は江東区公式ホームページより)
目次
松平定信の墓(白河1丁目)
渋沢栄一は松平定信を深く尊敬し、東京で組織された楽翁公遺徳顕彰会でも会長を務めました。(渋沢栄一記念財団ホームページより)
また、霊巖寺において楽翁公百年忌墓前祭では、挨拶を行いました。
浅野工場(清澄1丁目)
実業界を引退するまでに500余の会社設立に関与したといわれていますが、江東区に関係するものでは、浅野セメント株式会社等があげられます。(江東区教育委員会)
渋沢栄一宅跡(永代2丁目)
渋沢栄一は明治9年に深川福住町の屋敷を購入し、修繕して本邸としました。明治21年には、中央区に本邸を移したため、深川邸は別邸として利用されました。現在その跡地に説明板がたっています。
園女歌仙桜之碑(富岡1丁目)
渋沢栄一が描いた題字が陽刻されています。
明治丗七八年役戦死者忠魂碑(富岡1丁目)
渋沢栄一謹書。
福住稲荷神社(永代2丁目)
福住稲荷神社は、深川福住町にあった近江屋喜左衛門屋敷の邸内祠であったもので、明治9年に渋沢栄一が近江屋屋敷を買収して、明治30年に澁澤倉庫部(のちの澁澤倉庫株式会社)を創業したあとは、同社の守護神として祀られました。