大野 洋子さん(83歳) 昭和17年4月9日生まれ
輪を両手で作るこのハンドサインは「デフリンピック」を表しています。
東京2025デフリンピックは11月に開催されます。
幼いころから音楽とともに
大野洋子さんは、昭和17年(1942年)4月9日に生まれ。現在83歳、江戸川区東小松川で25歳まで過ごします。戦時中に長野県への疎開を経験され、戦争の記憶は今でも心に残っているそうです。そんな経験から、戦争で深い傷を負った沖縄に関心を持ち、沖縄の文化や歴史について学ばれました。特に三味線の音や民謡の旋律に魅せられたそうです。

幼少期の家庭には蓄音機があり、音楽はいつも身近な存在でした。小学生の頃から舞踊団で日本舞踊やバレエを学び、踊る楽しさを体で覚えました。小松川高校ではダンス部、銀行員時代は東大友の会に入り社交ダンスに熱中し、仲間とともにリズムを感じながら踊る日々を過ごしました。「上手だね」と周囲に褒められることが嬉しくて、それが踊りへの大きな励みになったと話します。
手話との出会い、そしてダンスへ
30年前に江東区に引越し、区のボランティアセンターで手話講座に参加されました。3年間じっくり学び、手話を通して初めて障がいのある方々と接する機会が生まれます。
ある日、知人から「手話ダンス」を紹介されました。歌詞の意味を手話で伝え、音楽に合わせて体を動かす、まさに“伝える踊り”です。はじめて観た手話ダンスが、沖縄の名曲「島唄」でしたが、その体験が手話ダンスを本格的に始めるきっかけとなりました。
活動を重ねるうちに、耳が聞こえない方や目が不自由な方とも自然に交流が広がり、「知ることで、理解が生まれる」と実感するようになったそうです。
「見る力」を活かして演じる
手話サークルに所属していたある年のクリスマス会。江東区の聴覚障害者協会の方々を招いて催しを行うことになりました。「耳の聞こえない方は、見る力がとても優れている」と気づいたことから、手話を使った劇「白雪姫」に挑戦することに。
当時好きだった宝塚やドリフターズの舞台をヒントにした演出は大好評。そこから「表現する手話」の可能性を強く感じるようになりました。
現在は、手話ダンスサークル「夢」を立ち上げ、地域での講師活動を続けています。生徒と一緒に「かぐや姫」を手話劇にしたこともあり、誰でも安心して参加できるよう、登場人物の衣装を用意するなど楽しく工夫を凝らしています。
自然なやさしさを大切に
豊洲四丁目アパートは、現在も進化し続けています。高齢者が安らげるアパートを目指し、健康麻雀の会やボッチャを楽しむ会などを企画しています。年始にはおしるこを振舞うイベントも開催し150名以上の方が参加しました。また、いざという時の為に防災パンフレットも自治会で作成しました。
30年以上にわたり自治会長を務める西岡さん
「困っている人にそっと手を差し伸べる。そういう自然なかたちが、私にとってのボランティアです」と大野さんは語ります。誰かを助けたいという気持ちはあるけれど、お節介にならないように、さりげない思いやりを大切にしているそうです。
「『楽しい』と言ってもらえると、本当にうれしい。教えているつもりが、生徒から教わることもたくさんあります」と、笑顔で話してくれました。
音楽、踊り、手話、そして人とのつながり。大野さんの人生は、あたたかいリズムに満ちています。
最後に今後の想いをお尋ねしました。
「手話ダンスは子どもも大人、そして高齢の方も一緒に楽しめる、本当にずっと続けられる楽しいダンスです。発表の場だけではなく、手話ダンス自体を楽しむ機会をもっと増やしたい」です。そして私自身、“品よく、賢く、おもしろく”をかかげてこれからも皆さんと楽しく生きていきたいです」と人懐っこい満面の笑顔で語っていただきました。
