今放送されているNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公で、2024年に発行される新一万円札の肖像画に起用されるなど大注目の渋沢栄一。実は江東区と深い関わりがあったということをご存じですか。
渋沢栄一は、明治9年から12年間、深川福住町(現・江東区永代)に居を構え、様々な企業を設立し、地域との関わりを大切にし、旧深川区の区会議員・議長や深川区教育会会長を務めました。区内にはその足跡を感じられるスポットが多く残っています。今回は、門前仲町から清澄まで、その足跡をたどってみました。(説明文は江東区公式ホームページより)
目次
松平定信の墓(白河1丁目)
渋沢栄一は松平定信を深く尊敬し、東京で組織された楽翁公遺徳顕彰会でも会長を務めました。(渋沢栄一記念財団ホームページより)
また、霊巖寺において楽翁公百年忌墓前祭では、挨拶を行いました。
浅野工場(清澄1丁目)
実業界を引退するまでに500余の会社設立に関与したといわれていますが、江東区に関係するものでは、浅野セメント株式会社等があげられます。(江東区教育委員会)
渋沢栄一宅跡(永代2丁目)
渋沢栄一は明治9年に深川福住町の屋敷を購入し、修繕して本邸としました。明治21年には、中央区に本邸を移したため、深川邸は別邸として利用されました。現在その跡地に説明板がたっています。
園女歌仙桜之碑(富岡1丁目)
渋沢栄一が描いた題字が陽刻されています。
明治丗七八年役戦死者忠魂碑(富岡1丁目)
渋沢栄一謹書。
福住稲荷神社(永代2丁目)
福住稲荷神社は、深川福住町にあった近江屋喜左衛門屋敷の邸内祠であったもので、明治9年に渋沢栄一が近江屋屋敷を買収して、明治30年に澁澤倉庫部(のちの澁澤倉庫株式会社)を創業したあとは、同社の守護神として祀られました。