倉持 弘さん(81歳)

下町文化の情報発信基地 
くらもち珈琲 店主 倉持 弘さん

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その日その日を大切に、身体が続く限り続けたい

倉持 弘さん

昭和16年1月31日、埼玉県与野市(現さいたま市)で生まれる。父の実家のある桶川市で小学6年生の途中まで過ごし、亀戸に転居。第2亀戸中学の1期生。

中学時代の弘さん。
香取小学校の卒業アルバム。

自身の子ども時代を振り返り、「おとなしくて、まじめな子どもだった」と語る。

カメラを持つ弘さん。
高校の体育祭

大学時代は写真部に所属。大学生対象のコンテストで大賞を受賞し、プロの写真家を目指したかったというが、「厳しい世界だから」と両親に説得され、銀行に入行した。

24歳で結婚

銀行員として多忙な日々を過ごしていた弘さん。写真はもっぱら、社内旅行やイベント、記念写真の担当のみ。大学時代のように、テーマを決めて撮影することはなかったという。

24歳で、父同士が知り合いだったご縁で結婚。長女、長男と二人の子どもに恵まれる。

高度経済成長の時代。朝早くから夜は毎晩9時10時の帰宅。日曜日に子ども達と過ごし、月曜朝、長女から「また遊びに来てね」と言われたことも度々。

50歳で下町をテーマに撮りはじめる

50歳を過ぎたころ、リタイア後の生活を考え始めた弘さん。その時に浮かんだのが写真の世界だったという。再びカメラを持ち、亀戸天神や深川八幡祭等々、下町をテーマに撮りはじめる。

リタイア後には、その写真を通じて、地域の人たちと楽しめるような場を作れないかと考えていた時に、ゴルフ仲間だった知人が、「珈琲店をやればいい」と提案。その知人から珈琲店開業のノウハウをアドバイスされ、平成11年。58歳の3月に、36年間勤めた銀行を退職し、その年の9月8日「くらもち珈琲」をオープンした。

知人は、大手珈琲チェーン店を0から立ち上げたその道のプロ。以来15年以上、サポートしてくれたという。

下町文化の情報発信基地

オープンに際し、弘さんが唯一こだわったのは、店内の壁をギャラリーとして利用するということ。

オープン時には、義父の「木版画展」を。ついで、弘さんの「写真展」を開催。

珈琲店のコンセプトを「下町文化の情報発信基地」とし、作品を展示する機会のなかった、たくさんのアーティストのお役に立てるようにと、ギャラリーを無料で提供し続けている。現在まで20年以上、途切れることなく、多くの方々が、くらもち珈琲で個展を開催している。

くらもち珈琲の入り口。
9月1日から20日まで開催されている倉持弘写真展「ザ・下町―77年―」DMはがき。

定休日は水曜のみ。「疲れませんか?」と伺うと、「毎日珈琲を飲みに訪ねてくれるおなじみさんのためにも、その日その日を大切に、身体が続く限り続けたい」と、穏やかに話してくださいました。

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