稲葉 博孝さん(79歳)

南砂住宅自治会会長 稲葉 博孝さん

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高齢者も子ども達も安心して暮らせるまちづくりを

稲葉 博孝さん

昭和19年2月13日、日本橋で生まれる。父方の祖父は病院を経営。博孝さんの父は7人兄弟だったが、うち5人が医師だったそう。

博孝さん誕生後、戦火が激しくなった東京を離れ、5歳ころまで川越に疎開。その後、東京都大田区へ転居した。

父は、商売向きの人ではなかったというが、電気器具の卸しをする会社を興す。慣れない経営のためか、詐欺にあい会社は倒産。裁判ざたとなり、会社勤めをしながら裁判に取り組んでいたという。

その苦労もあったのか、博孝さんが大学1年、父46歳。裁判が続いている中、脳溢血で急死した。長男として裁判の矢面にたった博孝さんは、友人の手を借りながら後始末に奔走したという。

「どんなお父様でしたか?」と伺うと、「とにかく怖かった。5尺8寸7分と当時としては大柄で、怒ると手を出す。成績が上がらないと、2時間正座をさせられた」と子どもの頃を思い出す博孝さん。

24歳でいすゞ自動車に途中採用

大学では数学を先行した博孝さん。教師になるつもりで教員資格を取得したが、新卒の採用試験を受けたのは、TBSのアナウンサー。「自分がどこまで通用するか試したかった」と話すが、残念ながら不合格。営業では厳しいと言われていたフランスベッドにあえて入社。飛び込みで行った一流企業の副社長に気にいられたこともあり、10カ月の間に3回TOPを取り退社した。

その後、いすゞ自動車の中途採用を受験。見事合格し、システム部に配属。以来定年で退職するまで関連会社も含め、勤め上げることとなる。

システム開発に従事

システム部・企画部で、顧客情報システム(CIIS)の開発に、総責任者として携わる。

博孝さん30代半ばの頃。販売会社の経営情報システム作りのため渡米。会社から全権を委任されていると一歩も譲らなかった博孝さん。見事有利に交渉をまとめた。

その間、23歳の時に旅先で知り合った3歳下の女性と26歳で結婚。博孝さん28歳で長男、2年後に次男が誕生した。

出会った頃? の二人

紡いできた物語を次につなげていく

長男が小学校3年生の時に現在の南砂住宅に転居。仕事人間だったという博孝さんだが、自治会には顔を出していたそうで、当時の自治会長から「ぜひ中に入ってやってほしい」と懇願され、退職後自治会の役員に。

旅先で。

南砂住宅は約3800世帯もある大所帯。そこで暮らす人たち同志、助けあいができないかと会長と共に活動を開始し、棟内のパトロール、家を訪ねて安否確認、ゴミ清掃、福祉フリーマーケット、フードパントリー(食に困ったときに無償で食の支援が受けられる場所)と、現在もフットワーク良く活動を続けている。

「今考えるとボランティア活動の原点は、大学生の時に行っていた子ども達のための無償教師。約20名の大学生が、受験対策、教科学習、趣味の講座と教えていた」。

周りの方々に支えてもらいながら、積極的に自治会活動に力を注ぐ博孝さん

「動かないことには何も変わらない。動けば問題点も見えてくる。問題点を補正しながらなんとか回していけば、少しずつでも前進する」と話す。

博孝さんの一番の楽しみは奥様とカラオケに行くこと。カラオケの全国大会にエントリーして、優勝経験もあるそうです。

十八番は荒木一郎の「空に星があるように」とのこと。

一緒にカラオケを楽しむ、仲のいい奥様と。
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