近藤 良治さん(74歳)

経済産業大臣指定伝統工芸品 東京無地染 株式会社近藤染工 代表取締役 伝統工芸士 近藤良治さん

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これからの目標はお母さんを元気に。お母さんはいつも元気じゃないと!!

伝統工芸、「無地染」を次の世代につなげたい。

昭和23年12月13日、墨田区江東橋で生まれる。良治さん3歳の昭和26年、父が清澄に東京無地染の近藤染工を創業。移住した。以来清澄で暮らし、白河小、深川6中、永代橋のたもとにあった中央商業学校と進む。

良治さんは男4人、女4人8人兄弟の長男。時は、着物全盛の時代。父は夜中の1時、2時まで仕事をして、朝は5時頃から働いていたという。良治さんも小学校の頃から、仕上がった反物を自転車でお客様に届けていた。

大学卒業後家業に

大学卒業後、近藤染工に入社。まだ着物が売れていた時代。「食いっぱぐれないだろう」そんな思いだったと笑う。

3年くらいは営業等で外回りをし、28歳の時に工場に入る。もちろんそれまでも父や職人さんの仕事は見ていたが、実際に職人としての日々がスタートした。

色を作るのに、10年

経済産業大臣指定伝統工芸品に登録されている東京無地染は、江戸時代より伝わる色見本を手がかりに、問屋さんや呉服屋さんの依頼に添って、微妙な色の違いを調整しながら染め上げていきます。基本的に三原色で構成されている染めでありながら、地紋や生地の素材によってその質感や印象はさまざま。

この色を作るのに10年かかると言われ、良治さんも始めた頃は、やり直しの連続。やっと染め上がった、とお届けした品がはねられて戻ってきたことも多々。「自分にはむいていない」と悩む日々が続いていたそう。

近藤染工ホームページより。制作に励む良治さん。
http://kondosenkou.com

依頼されるだけでなく、こちらから動く

時代の流れと共に、着物文化が衰退。それに伴って染色の依頼が少なくなって来たことで、「このまま委託を待つだけではいけない」と考えた良治さん。自分で作って販売することを考える。

無地染の技術や技法を守りながら、新しい技術や技法を取り入れ、また、現代でも受け入れられるようにと、スカーフや手ぬぐい、小袋等の制作に取り組み、店舗やネットで販売している。

時代のニーズに合わせ、研究・開発・制作等で多忙な日々を送る良治さんだが、仕事だけでなく、50歳の頃から清澄2丁目町内会の手伝いも続け、現在、会長として3期目を務めている。また、8月に6年振りに行われた深川富岡八幡宮例大祭では清澄2丁目の総代も務めた。

平成5年4月、湯本にて。

無地染を伝え続けたい

「町内会の会長は3期目までと決まっているので、今期で終わる」と話す良治さんに、「少しはゆっくりできますね。何かやりたいことはありますか?」と伺うと、「無地染の技法を絶やさないために、もっといろいろなことを考えて、広めていきたい。」との答え。

学生を対象としたアトリエ見学、一般の方も参加できる染色体験を行ったり、さまざまなニーズに対応できるよう、さらに商品開発にも取り組んでいきたいと話す。

無地染職人がいなくなり、廃業する会社も増えている。

日本が世界に誇る伝統工芸、「無地染」を次の世代につなげたい。そんな強い想いが伝ってきました。

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